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世界基督教統一神霊協会 荒川教会壮年部



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§ キリスト教とイスラム教は兄弟宗教だ!

~9.11テロ事件追悼に思う
世界の宗教問題を解決する鍵はここにある!

  • 2001年の9.11アルカイダ・テロからもう9年が経った。
  • オバマ米政権は米国内での反イスラム感情の高まりにはそうとう苦慮している。
  • グラウンド・ゼロのそばのモスク(イスラム教礼拝所)建設計画への市民の反対運動やフロリダ州の心無いキリスト教の牧師によるイスラム教の聖典・コーラン焼却イベント計画など国内には険悪なムードが溢れた。
  • オバマ大統領はワシントン郊外の国防総省の追悼式で「我々はイスラム教と戦争をしているのではないし、これからも決してすることはない。我々を攻撃したのは国際テロ組織・アル・カーイダだ」と述べたことは適切だと思うのだが、この演説は皮肉にも反オバマ層の大統領批判にも利用されている。「大統領は真のアメリカ人ではない。ムスリムだ。」とまで言われた。



  • ●イスラムを正しく知る
  • 日本にはイスラム教はなじみが薄く、東京に住んでいてもなかなか縁が持ちにくい。ゆえにかなり物珍しさもある。
  • 日暮里駅の山を西に歩くと谷中銀座につながる「ゆうやけだんだん」という坂がありますが、その坂を降りた右袂にイスラム料理の店がある。店はそれなりの広さの座敷があり、テーブルなしで絨毯に座って食べるスタイルだ。なんとなく屋台感覚だ。少し薄暗い店内にエキゾチックなイスラム音楽が流れている。サービス精神旺盛なパフォーマンスでお茶や果物を振舞う数人の若い男女の店員。ランチは値段も安くて、少しイスラムの雰囲気を味わうにはいい店かと思う。
  • 私はビーフシチューのような料理をよく注文するが、ご存知のようにイスラムでは豚肉を食べることは禁止されている。牛肉、鶏肉は禁止されていないが、「ビスミッラー」(神の御名によって)と唱えて頚動脈を一気に切ったものでなら良しとされる。
  • 日本ではイスラムは存在感は薄いが、世界では政治や経済にも大きな影響を与えている。
  • 7世紀以降の世界史では常に世界の3分の1はイスラムが存在勢力を占めてきたのではと思う。
  • アメリカは移民の国ゆえに、多くのイスラム教徒が暮らしているので日本とは全く違う。20101010a.jpg
  • 日本ももっとグローバル化が進むと私たちもイスラム教の国や教徒のかたと身近に付き合わなければならなくなるかもしれないと思う。
  • わからないまま付き合うか、わかって付き合うかでは距離感はどんなものであろう。
  • 私はイスラムを正しく知ることも必要なのではと最近思うようになった。



  • ●読売新聞9月12日のコラムで「イスラム恐怖症」
  • 米国イスラム研究の権威であるジョン・エスポジト教授(米国ジョージタウン大学)はイスラム教や信徒への偏見や憎悪をむき出しにする社会現象を「イスラム恐怖症」と呼び、その深刻さを語っている。
  • 「イスラム恐怖症」根には、
  • 国民をテロリストと一般信徒の混同させる政治家やマスコミがあり、
  • 背景には現在の経済・社会の閉塞感があと見ている。
  • 米国人のイスラム敵視の根の経緯は
  • ① 1979年 イラン革命と米大使館員人質事件 
  • ② 1993年 世界貿易センタービル爆破事件 
  • ③ 2001年 9.11テロ事件 だ。
  • 今回のグラウンド・ゼロのそばのモスク建設論争は、社会に根付くイスラム恐怖症の氷山の一角が現れたものに過ぎないとのこと。反対する人たちにとっては「モスク=テロの記念碑」としか映らない。
  • 主要政党の連邦議会選立候補者や政治家が票欲しさからテロリストと一般ムスリム(イスラム教徒)を混同するような発言を繰り返しているそうだ。
  • 今回のフロリダの牧師はうまくマスコミと連動し、反イスラムを演出しアピールした。
  • 米国内の失業など経済や生活に感じている閉塞感をムスリムや不法移民などのせいにしており、敵対感情を助長している。



  • ●イスラム原理主義とイスラム過激派とは同じではない
  • イスラム原理主義イスラム過激派が一緒と誤解されていることが多い。
  • イスラム原理主義は初期のイスラムへの復古の運動であり、イスラム回帰運動が原点だ。
  • 第2次世界大戦後に中東の国々は独立し、経済発展を目指したが、失業問題やインフレなどが起き、イスラム社会に貧富の差が生じた。
  •   神の前に平等であるはずなのにそうではないので、イスラムの原点に戻る運動として始まった。これを欧米のマスコミが最初に「イスラム原理運動」と名づけたのが今まで残った。
  • 1979年のイラン革命(シーア派・ホメイニ師がイスラム国家成立させた)を機に回帰運動を過激に行うグループが興り、彼らはイスラム社会を守るためには、武装闘争も辞さないというスタンスを取った。
  • すなわち、イスラム原理主義グループ中の一部がイスラム過激派グループだ。混同したらいけない



  • ●イスラム教とキリスト教は兄弟宗教
  • イスラム教を調べていくとはキリスト教とよく似た背景や共通するものがあることがわかる。イスラム教はキリスト教と並ぶ立派な兄弟宗教だと思う。
  • ご存知のようにイスラム教はムハンマドによって始まった宗教。
  • 40歳の頃にヒラー山の洞窟で瞑想に耽っていると、突然神の啓示を聞き、神の遣い(天使ジブリール、キリスト教のガブリエルと同じ天使)が現れて、自らが神の使徒であることを告げられて始まった。
  • イスラム教とキリスト教の共通しているところや似ているところを挙げると、
  • 神は世界を超越した全知全能の創造主で、唯一神である。
  • 同じ天使(ガブリエル)が聖誕や召命に深く関わる。
  • 神を偶像化することを厳禁とする。
  • 神のもとに、人はすべて平等。
  • 終末観を持つ。終末には天変地異や大きな争いが起こる。
  • 最後の審判があり天国行きと地獄行きに分けられる。
  • 殉教を尊び、それを通して天国に入れることを説く。
  • 唯一大きく異なるところは
  • イスラム教ではムハンマドは偉大なる最後の預言者と見る。
  • これゆえにキリスト教を下に見ているので、お互いにうまく行きにくいのではと思う。



  • 統一思想には宗教を立てられた神の意図が説かれています。(以下)
  • 今まで数多くの宗教が現れたが、決して、それぞれの教祖たちが自分勝手に宗教をつくりあげたのではなかった。
  • 神は最終的に全人類を救うために、一定の時代に、一定の地域に、一定の教祖を立てて、まずもって、その時代、その地域の人々を善なる方向へ導こうとされたのである。
  • すなわち神は時や場所によって、言語、習慣、環境の異なる人々に対して、その時代、その地域に適した宗教を立てて救いの摂理を展開されたのである。(統一思想要綱 P301)
  • 宇宙万物の根源者をユダヤ教ではヤーウェ、イスラム教ではアッラー、ヒンドゥー教ではブラフマン、仏教では真如、儒教ではといっているが、これはキリスト教でいう神と同一の存在である。
  • また、イスラム教がなぜ興ったかについて統一思想では明確に説明されている。
  • ゾロアスター教(参考1)は7世紀頃イスラム教の勢いに押されて衰退した。
  • こうなった理由はゾロアスター教は善悪二神の二元論の宗教であったので、
  • 救いの摂理を担える唯一神のイスラム教が興り、それにとって換った。
  • (統一思想要綱P483を参考)



  • ●世界の宗教問題を解決する鍵はここにある!
  • これらの各宗教の根源者が、結局は同一なる存在であることを証明するためには、その根源者がいかなる方か、正確に知らなくてはならない。
  • すなわち根源者(神)の属性、創造目的、宇宙創造の法則などを正しく理解しなくてはならない。
  • そうすれば、各宗教は同一なる神によって立てられた兄弟の宗教であることがわかるようになる。そして、長い間の対立と闘争の関係を清算して、互いに和解し、愛し合うようになるのである。
  • 結局、神がいかなるお方かを正確に知ることが(宗教間の争いの)問題解決の鍵となるのである。(統一思想要綱 P302)
  • 参考1 ゾロアスター教 (大辞林 第3版)
  • 紀元前6世紀頃のペルシャの預言者ゾロアスター(ツァラツストラ)が始めた宗教。ペルシャの民族宗教を二元論で体系化した。光の神・善神アフラ=マズダと暗黒の神・悪神アーリマン(アングラ=マイニュ)の確執から一切を説明し、ついに悪神は敗れて暗黒の中に追放されるとする。善神の象徴である火を崇拝するところから拝火教とも呼ばれた7世紀のアラブによる征服後、イスラム教に改宗する者が多く衰退した。現在、インド西海岸のムンバイ(ボンベイ)付近に住む教徒は、パールシー教徒と呼ばれる。経典をアベスタ(21巻)といい、約4分の1が現存する。



  • ●参考HP






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§ アメリカがオカシイ! 同性婚容認

~カリフォルニア州が知事をあげて同性婚容認を再決定に物議

カリフォルニア州は一時同性同士の結婚を禁止していたが、サンフランシスコ連邦地裁はこれに連邦憲法に違憲との判決をし、同性婚を認める決定を下した。
婚姻届の受理日がはっきりしなかったので、これにシュワイズネッカー知事が8月18日と決め、後押しした形となった。
シュワイズネッカー知事が同性愛者の多い米軍の人物からの頼みも受けたのかもしれないとも憶測してしまう。がっかりだ。

かつて、カリフォルニア州では2008年5月に州最高裁が同性婚を認める判決を出し、約1万8000組の同性カップルが結婚した。
しかし、同年11月の住民投票では同性婚反対派が勝利して、同性婚は禁止となった。
しかしこの度、カリフォルニア州最高裁は住民投票の結果を支持して同性婚を違憲としたが、連邦地裁が今年8月4日に平等な市民権を保障した憲法に違反するとした判決を出した。
これに対して宗教団体などは激しく反対をしている。

さらに、連邦高裁は16日に「結婚の定義をなお慎重に見極める必要がある」として、12月6日までは執行を差し止める良識ある決定をした。
州各地で挙式準備中のカップルが数万組いるとみられ、彼らからの怒りが爆発するのは必至だが、おぞましい光景はなんとか回避できた。

同性婚は東部マサチューセッツなど計5州と首都ワシントンで認められているそうだ
なんとショッキングな事実である。

キリスト教など宗教が大反対するのは当然であり、彼らこそ正常である。
宗教を抜きにしても、男同士、女同士の同性婚が認められるはずはない。
アメリカの淪落がはっきりと読み取れる。嘆かわしいことだ。

キリスト教では聖書に基づいての家庭倫理があります。
統一原理では、「神の創造目的と四位基台」に述べられていますが、神が人類始祖であるアダムとエバを誕生された動機と彼らと子孫たちへの願いがあります。

三大祝福と言いますが、
完成して神に似た者となること。(個性完成・人格完成)
子孫を産み増やすこと。(子女繁殖・子孫繁栄)
宇宙・万物を治めること。(万物主管・森羅万象を管理)です。

神の願いに生きることが人の公式生涯だ。
当然なことですが、同性婚だと子孫を産み増やすことはできません。自然の摂理にも反しています。

「アメリカで流行ったものは日本にも来る」と言われますが、日本の法律でも遺伝学に基づき近親婚の禁止が謳われていますが、ましてや同性婚などは論外な話であります。
認める訳にはいきません。家庭倫理・社会倫理が崩壊し、国が崩壊してしまいます。
悪魔が性倫理を撹乱しているとしかいえない。

最後に一つ残念なことがある、このニュースの記事は日本の大手マスコミでもあまり大きくは取り上げていないことだ。同性愛者に配慮してのこともあるかもしれませんが、オカシイことはオカシイとはっきり主張すべきだ。さらに国は何のコメントもしないでいる。


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§ キリシタンの信仰の姿

東京大学史料編纂所におられる山本博文教授は『殉教 日本人は何を信仰したか』(光文社)を著されて、戦国~江戸初期にかけて40万人ともいわれたキリシタンの姿と4千人といわれる殉教者の姿にスポットを当てられている。
キリシタン信仰に関心をもたれている方にはとてもお薦めです。

●宣教師の経緯

イエズス会の創設のメンバーの一人であるフランシスコ・ザビエルが1549年に鹿児島に到着し、日本宣教が始まった。
イエズス会は当時ヨーロッパで起きた宗教改革の新教プロテスタントに対抗して結成された旧教カトリック宣教団体だ。

秀吉はポルトガル船との貿易を必要としていたので、ポルトガル人のためにという名目で長崎の教会を許し十名の祭司の滞在を公認もした。

当時多くの大名たちもキリスト教帰依した。高山右近、大友義鎮(宗麟)、大村純忠、有馬晴信、小西行長、黒田孝高、蒲生氏郷 などである。
しかし、ヨーロッパ人の侵略の意図がある事や信者が結束したことを危惧して、秀吉や家康から棄教を迫られ、知行(俸給としての土地の支配権)・改易(官職や身分を取り上げられる刑罪)や財産の没収や国外追放をされた。信仰を捨てたキリシタン大名も多くいた。

秀吉にしても家康にしても宣教師や信者への追放や迫害を即実行したのではなく、猶予期間や条件を付けてもそれに従わない者のみを対象にした。(下記資料1を参考に
また、殉教の刑罰も見せしめのためにしていた。末端の信者をすぐに捕まえることはしなかった。
しかし、宣教師たちも秀吉や家康の指示を無視して、日本に潜伏し宣教を続けた。

先ほど述べたとおり、最初秀吉は宣教師の布教を大目に見ていたが、家臣の戦国大名たちがキリシタンとなり、諸外国と武器の取引もしているとなると、わが身の危険も感じたことは容易に想像できる。
諸外国に日本が乗っ取られてしまうことを考え畏れた。

●日本人キリシタンの信仰

イエズス会宣教師たちは「マルチリヨの栞(しおり)」で殉教の勧めをしている。
日本人キリシタンたちが宣教師の教えを積極的に実行しようとし、素直に従い、自ら進んで殉教者になろうとした純粋な姿が浮かぶ。
宣教師たちは、「殉教すれば神の前で最高の位につくことができる。すべての罪は赦され、煉獄の苦しみは免除され、天国では光背を頭に戴き、受けた傷は光り輝く。」と説いた。
当時は表向きの棄教よりも殉教が願われた。
日本でも殉教した宣教師や信者の遺体の一部や衣服は聖遺物として貴ばれ祭壇に祀られた。

日本人には信仰の根がないから、キリスト教は馴染まないと『沈黙』には出てくるが、山本教授は日本人信徒の信仰観と当時のヨーロッパの信徒の信仰観には大きな違いはなかったのではと分析されている。すばらしい信仰を持っていたということだ。

当時の農民たちは重税に苦しめられた。そんな農民たちに声を掛け、惜しみなく支援する宣教師たちの優しさに触れたことは信仰を持つきっかけになったに違いありません。
また、宣教師たちから人は神から創造されたという話や、理想の天国の話を聞き、胸を時めかせたのではないでしようか。
そして、祈りの中で神霊に触れ、聖霊体験をして入信したのではないかと私は思います。
また、宣教師たちの姿がお手本だったので、殉教までも願ったのでしょう。

●宣教師の追放やキリシタン迫害が起きた理由

この時代は特異な時代だったと思います。
1517年のルターによる宗教改革からメシヤ再降臨準備時代というイエス・キリストの再臨を迎える準備をする時代に入りました。
ヨーロッパでは宗教改革が起きローマ法王を中心とするカトリック(旧教)とプロテスタント(新教)が大きく二つに分かれて国を挙げて戦っていました。
日本では下克上の世で戦国大名たちが凌ぎを削り、宣教師が来日し、キリスト教徒が急激に増えていき、秀吉による朝鮮出兵があり、家康による天下統一という激動の期間でした。

私の想像ですが、もし宣教師やキリシタンに対する迫害や追放がなければ、日本やお隣の朝鮮・中国はカトリックを国教とするヨーロッパの領土となっていたと思われます。
そうなることは神の願いではなかったので、宣教師の追放やキリシタン迫害も起こらざるを得なかったのではないかと私は思います。「神の沈黙」された理由の一つかと思います。
カトリック信者のかたが聞かれたらご気分を悪くされたかもしれませんが、「神の沈黙」について祈り求めていただけたら幸いです。
また、そこから秀吉による朝鮮出兵が起きた理由も見えてきます。
この場では詳しいお話は控えます。ご興味があるかたはメールでお願いします。

●参考資料1
秀吉の「バテレン追放令」1587年:「松浦文書」より
一、日本は神国であるから、キリシタンの国から邪悪な教え(キリスト教)を布教することは、大変よろしくないことである。
一、宣教師は、その教えやいろいろな知識で人々に布教し、その者たちは自分の意思で信者になっていると秀吉公は思われていたが、強制的に信者をふやしたり、日本の仏教を破壊したりしていることはけしからぬことであり、これでは宣教師を日本に置いておくことはできない。したがって、今日より二十日以内に準備して帰国せよ。
一、南蛮船については商売が目的なので特別である。以後、年月を経ても諸取引をするようにせよ。

キリシタン.jpg
当時の諸国からの宣教師たち

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§ 生命とは何だろう?

~生命の誕生と進化について考える

今日も足元に一匹のアリが這っている。
気持ちに余裕があると、生き物の不思議を考える。
このアリもDNAを受け継いできた存在だ。何億年も生命が繋がれてきて、今存在しているのだなあと感慨にひたる。

また、遺伝子の操作や今話題のiPS細胞(誘導多能性幹細胞)で生体を増やすことができたとしても、このアリの細胞一つとして、分子レベルから造ることは誰もできていないことを思う。

●生命の定義
さて、ある科学者がさまざまな分野の科学者仲間に「生命の定義」を尋ねた。
口からさまざま出てきたが、大きくは以下のとおりだ。
① 恒常性維持能力があり、自己複製と繁殖能力がある
② エネルギー変換能力がある(代謝する)
しかしこれらは生物の特徴とはいえるが、その本質を定義したとはいえない。

「生命は魂だ!」という人もいる。哲学的には正しいと思うが、論理的説明が欲しいところだ。

●最初の生命はどのようにしてできたか?
これは生物学者が熱烈に追い求めてきた謎です。
大きく分けて考え方は3つあるようです。
①機械論的考え方 物質から特定の分子ができ、生命は発生した。(化学進化)
②創造論的考え方 生命は神のみ手によって創造された。(キリスト教等)
③生気論的考え方 生命は物質に生気が吹き込まれて誕生した(アリストテレス)
現在は①が主流の考え方となっている。

ご存知のように、UCLAの研究者・ミラーの実験は教科書でも有名だが、アンモニア、メタン、水素、水の混合気体から生命の素材となるアミノ酸の合成に成功した。
生体ではアミノ酸・たんぱく質が生命活動のあらゆる場面で活躍している。さまざまなたんぱく質が集合すれば生命活動が始まるようにも思える。
しかし、万一たんぱく質で生命らしきものができたとしても一度限りの短い命だ。生命が存続するには、自らを複製して、引継ぎが必要だ。この引継ぎ役がご存知の遺伝子DNAだ。
一個の細胞に2mの長さのDNAがくるくると巻きつけられて収まっている。
DNAには、必要なたんぱく質の合成から始まり、細胞・組織・構造・形態までの生成の情報と設計図が組み込まれている。
DNAとたんぱく質この仲介役のRNAこれらの3種類の分子が協力して生命の複製システムができているが偶然にこのシステムができたと言ってもかなり無理のある説明だ。
生命が生命活動を維持するためのシステムは、とても複雑で未だに充分解明はされていない。

また違った角度で、最初の生命は隕石と一緒に宇宙からやってきたとする説まで出たが、生命の起源に関しては同じ問いかけとなる。

●生命とは
統一思想要綱では生命についての説明と定義がかなり明確にされていると思います。

(以下 統一思想要綱より)
「生物は生命を持っているが、生命とは、原理の自律性と主管性のことであり、生物体に潜在する意識性を持つエネルギー、またはエネルギーを持つ意識のことである。」

生物の成長はこの生命すなわち原理の自律性と主管性に基因するが、それは生命体に潜在している、意識とエネルギーの統一物(意識性エネルギー)なのであり、この運動がまさに生命運動である。

自律性とは、他から強いられるのではなく、自ら進んで決定する能力である。
地球は太陽を中心として回っているが、それはただ機械的に法則に従っているだけである。
しかし、生命は、機械的に法則に従いながらも、時には自らを制御しつつ、さまざまな環境の変化に対処する。そのようにして成長しているが、それが原理の自律性である。

一方、原理の主管性とは周囲に対して影響を与える作用をいう。植物において、種を土に蒔けば、芽が出て、茎が伸び、葉が出るというふうに成長するが、その成長する力そのものは原理の自律性である。同時に、植物は周囲に影響を与えながら成長する。動物に酸素を供給するとか、花を咲かせて蜂や蝶を呼ぶことなどがそれである。それが原理の主管性である。そのように成長という面から見た場合には自律性であり、周囲に影響を与えるという面から見れば主管性である。」

「被造物にはすべて被造目的(創造目的)が与えられている。生物に被造目的が与えられているということは、生物の中の生命が、その目的を意識しているということを意味する。したがって生物の成長は、初めから目標(目的の達成)を目指す運動なのである。」

確かに生命そのものは目には見えませんが、目的性を持っているし、成長させるエネルギーなのだとイメージできます。


●進化について
ダーウィンはガラパゴス諸島の観測から「種は変化している」という進化論にたどり着き「種の起源」を発表しました。ケンブリッジ大学・神学部を卒業したダーウィンは進化論がキリスト教の「人間や万物は神が創造時に姿かたちを決定した」とする考えに反していたので、自らの信仰面で葛藤し相当悩んだらしい。亡くなるまで悩んだそうだ。
ダーウィンが発見した「進化」は全面的に神を否定するものではないと思う。
階層性と連続性を持った神の創造の業の軌跡・結果としての現象だと考えられます。
(図を参考にしてください)

●神の人間の創造とその生命に関して
人間は神ご自身の喜びの対象・神の子女として創造された特別な存在です。
神は人間の創造を目標とされながら宇宙を創造され、人間のために環境を造られた。ゆえに、人間の生命は他の生物にはない特別なものだといえる。

人間の生命にも性相と形状があると考えられます。
肉体の死を迎えた後、生命の形状部分は数日間肉体にとどまります。死んだ人の髭や髪の毛が暫くの間生えることからもうかがえます。そして、最終は土や大気に戻るのではと思います。
生命の性相部分は生心と霊体を合わせた霊人体の中に入り、永遠に生きると考えられます。
ですから、あの世に行き霊人体であることは生命を持っていることなので、死んではないのです。ですから、肉体の死はなんら悲しいことでも、憂えることでもありません。
また、あの世で成長もできるのです。
思わず神の創造の素晴らしさを賛美したくなります。

「生命」という存在は簡単に説明できるものではないと私も思います。
一人の人間の生命は、地球よりも重い、宇宙よりも重いといわれます。
読者の皆様の貴いお考えも是非伺いたく思います。  (K・T)

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§ 自然の中から原理と愛を学ぶ

  •   東京も梅雨明けの数日前、昼間風の強い日がありました。
  • 高層住宅が立ち並ぶ近所を犬を連れて散歩していると、一羽のすずめが歩道にいました。
  • ある程度の大きさだが、ぎこちなくぴょこぴょこ歩くだけで飛ばない。
  • 怪我でもしているのかとよく見たら、巣立ちの前の子すずめでした。
  • 強い風で巣から落ちたらしい。
  • すずめはマンションが立ち並ぶところでも、人間の身長以上の高さのちょっとした隙間を巣にするそうだ。また、成長するにつれ、喉元と頬の黒色が拡がるそうだ。
  • 親鳥らしいすずめが二羽近づいて来た。こちらの様子も見ている。
  • 母親らしいすずめが近づいて、子すずめの開いた口に餌をやった。
  • 二羽のすずめがエスコートして安全な場所まで子すずめを誘導しているようだ。
  • 短い時間だったが、ありがたい光景に出会った。即座に神様に感謝しました。
  • 親すずめが子すずめに餌をやることや、安全を守ろうとする行為は「本能」の一言では説明ができないと思った。根底には子を慈しむ心や保護する心、まさに「愛」の心を感じました。
  • 文鮮明先生は「先生は原理の80パーセント以上を自然から学びました。」とお話されたことがあります。
  • 世の中には親がわが子を虐待したという痛ましいニュースがよく聞かれますが、人間も自然の動物から生き方や在り方を学ぶことができるとしみじみ思いました。
  •                                    (K&T)
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§ ノアの箱舟発見か!

~ノアの箱舟は3つ存在している?

  •   今年4月下旬に『旧約聖書』に登場する“ノアの箱舟”らしきものが、アララト山で発見されたとの報道が世界を駆け巡った。
  • 発見を発表したのは中国とトルコの福音主義のグループで、アララト山の標高4,000メートル以上の高地から箱舟の残骸、木でつくられた大きな7つの部屋を発見したという。
  • グループは詳しい発見場所を秘密にしたままだが、持ち帰ってきた木片を放射性炭素年代測定法にかけたところ、“ノアの箱舟”が作られた4,800 年前の木であることが分かったそうだ。
  • グループは「これが絶対に“ノアの箱舟”であるという証拠はない。しかし、我々はこれが99.9%の確率で“ノアの箱舟”であると信じている」と記者団に語っているそうだ。
  • ところで実は旧約聖書でアララト山に漂着されたと記されているノアの箱舟は以前にも2つあった。
  • アララト山北東斜面の氷河の割れ目、すなわちクレバスの底で発見された箱舟と、アララト山南30km地点で発見された箱舟物体がある。
  • 今回の発見で3つ目となります。なぜノアの箱舟が3つもあるのか疑問が生じますが、
  • ノアの時代にはいくつも巨大な船は建造されていたようです。
  • 世界中の砂漠や山や地下から巨大な船の残骸が発見されているそうです。
  • このような船がたまたま洪水でアララト山付近に漂着したことは充分に考えられます。
  • また、発見についてもロン・ワイアット氏の発見した舟形物体はAD3世紀ころに、キリスト教徒にすでに発見されていた形跡もあります。錨に十字架が8箇所刻まれています。(HP写真参考下さい)
  • ノアが乗った箱舟はこの3つのうちの一つかもしれないし、もしかしたら、これから発見されるかもしれません。箱舟発見にはとてもロマンを掻き立てられます。今後明らかになることでしょう。
  • 神の業であった洪水審判は地上に蔓延った悪を滅ぼし、新たに仕切り直した上で善の世界を築こうとされた神の心とご計画でありました。今の時代にも通じることだと思います。
  • ノアのごとく謙遜で正しき者でありたく思います。
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§ 「沈黙」 遠藤周作の見た神とキリスト

~「神は、なぜ、沈黙するのか?」

  •   「沈黙」は、江戸時代初期の長崎県を舞台に弾圧されたキリシタンを描いた遠藤周作の1960年代の小説だ。
  • 米国のアカデミー賞受賞監督で、「タクシードライバー」などを監督したマーティン・スコセッシ氏が昨年映画化を決定し、今年秋の公開を目指している。
  • 1971年の映画DVD1971年の映画DVD映画は1971年に篠田正浩監督が手掛けた「沈黙SILENCE」のリメーク版だ。 
  • 「沈黙」は、禁教下のポルトガル人宣教師の信仰の極みを描いた遠藤周作の代表作だ。
  • 外国人の監督作成なので新しい観点での江戸時代の宣教師たちとキリシタンたちの姿を知る貴重な映画になるかと思う。
  • この作品はキリスト教神学を知るにおいても深い内容がある。
  • 一般的にキリスト教で語られる万能の創造主・栄光の神ではなく、人の同伴者であり、苦しみを一緒に背負ってくれる存在としての神。これを遠藤周作は一番語りたかったのではと思います。
  • なぜ神は試練の時、沈黙されるのか?これが主人公から何度も問いかけられている。遠藤自身にとっても生涯をかけて一番知りたい核心の部分かと思われる。
  • 人が試練や不幸のどん底に陥る中、アダムとエバが堕落するとき、イエス・キリストが十字架にかかるとき、イスカリオテのユダが裏切りをした時などなど、なぜ神は何も手を出すことをせず、沈黙をされていたのか?
  • 統一原理ではそれぞれその時に応じて神の事情と理由があったことが明確に説明されている。
  • アダムとエバの時も何もせずに沈黙していた神ではなかった。祝福と戒めのみ言葉与えられて、親として子らに愛を示し責任を持たれていた。
  • 韓国・ソウルの天福宮のイエス・キリストの肖像韓国・ソウルの天福宮のイエス・キリストの肖像イエス様の十字架と死に対してキリスト教では十字架にかかられて昇天された理由として、人類の救いのために聖誕されてから十字架刑で昇天されるように神のご計画があったと結論付けている。しかし、本来は当時の世から救世主として受け入れられて、ご家庭を持たれて地上を天国に生み変えて生きられるはずであった。
  • 世が受け入れなかった故に神はイエス様を十字架の道に送り、第二の人類の救済のための道を選ばざるを得なかった。また、それ故にユダの裏切りの行動に対してもそのままにされた。
  • 神は居られるのか? いかなる神か?詳しい内容は是非、統一原理を学んでいただければありがたく思います。
  • 日本のキリスト教の歴史が再び世界に紹介されるということは意義が大きい。
  • 秋の映画の上映が楽しみだ。映画に明るいかたがおられたら情報お願いしたい。 
  • マーティン・スコセッシ監督はご高齢だが、健康と映画の完成をお祈りしたい。
  •                                      (一信徒 タカ&トッシー)
  • (沈黙のあらすじ)
  • 日本に密入国したポルトガル人司祭ロドリゴが主人公だ。
  • 島原の乱(1637~38年)が鎮圧されて、江戸幕府は宗門改役を置き厳しいキリシタン禁制をしいていた。
  • その頃、ローマ教会に一つの報告がもたらされた。ポルトガルのイエズス会が日本に派遣したフェレイラ教父が長崎で棄教を誓ったというのである。教えを受けたことのあるロドリゴ司祭は恩師の棄教が信じられなかった。事の真相を確かめるため、日本への潜伏布教を企てた。
  • 当時の日本地図当時の日本地図ロドリゴ司祭は、九州のとある村に上陸し、隠れキリシタンと接触する。しかし、信者の密告により、奉行所に捕らえられてしまう。
  • 司祭は、鋼鉄の意志を持って日本に密入国し、過酷な拷問の噂を耳にしても、恐れずに信仰の証しをたてる時だと覚悟を決めていた。
  • 時の長崎奉行・井上筑後守は、以前はキリスト教に帰依して、洗礼まで受けた人物だった。
  • 長崎奉行は、あえて司祭には肉体的な苦痛を与えず、司祭を拘束し、司祭の中「神」への疑問を植えつけていこうとする。
  • 司祭は、一晩中、拷問にかけられた隠れキリシタンたちのうめき声を聞かされた。
  • 長崎奉行は、司祭を拷問にかけて殺しても意味がないことを知っており、「神」への疑問を植えつけて、司祭の信仰心を破壊しようとした。
  • 長崎奉行はロドリゴが棄教を誓えば助けると脅す。ロドリゴは、神のために死んでいく信者の姿を見て、「神はなぜ沈黙しているのか?」思い悩む。
  • やがて、ロドリゴは牢獄でフェレイラと再会する。フェレイラは、日本に基督教は根づかなかったこと、拷問を受ける信者を救うためにも棄教すべきことをロドリゴに説く。
  • 一度は棄教を拒否したロドリゴだったが、信者が拷問を受けて苦しむ声を聞き、心が変わる。
  • 夜明けに、ロドリゴは奉行所の中庭で踏絵を踏むことになる。
  • すり減った銅板に刻まれたキリスト像に彼の足をかけた時に襲う激しい痛み。その時、踏絵のイエスが次のように話しかけるのが聞こえる。
  • 踏み絵踏み絵「踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に 生まれ、お前たちの痛さを分かつため十字架を背負ったのだ。」と語りかけられる。
  • その時、ロドリゴ司祭は神とキリストの真のお姿を見た。「私は転んだ。しかし主よ。私が棄教したのではないことを、あなただけがご存知です」と語りかけた。
  •  「転んだ」司祭に長崎奉行は、僧侶の着る袈裟を着せます。寺に住むことを命じます。そして、日本名を与え、女をあてがいます。子どもたちは、 「転びのポウロ」と囃したてながら、司祭に小石を投げます。司祭が棄教した事実は、またたく間にポルトガルへと伝わりました。しかし、司祭の神とキリストへの心は全く揺らいでいませんでした。
  • 「聖職者たちが教会で教えている神と私の神は別なものだ。」まさにそこには苦難の中に見出した神とキリストの姿があった。
  • 踏絵を踏むことで初めて自分の信じる神の教えを理解したロドリゴは、自分がこの国で最後に残ったキリシタン司祭であることを自覚する。
  • ロドリゴをかつて裏切ったキチジローが許しを求めて訪ねた。イエスは再び、今度はキチジローを通してロドリゴに語りかける。「私は沈黙していたのではない。お前たちと共に苦しんでいたのだ。」
  • ◎以下のHPご参考ください。






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§ 茶道とキリスト教

  • ゴールデンウイークに東京国立博物館の特別展「細川家の至宝-珠玉の永青文庫コレクション」を見てきました。
  • 細川家が収集してきた名品には武家としての力強さと気品のある優美さを秘め、繊細さに溢れていました。
  • 茶道具には格別な趣を感じました。
  • 茶の湯といえば女性の習い事のようなイメージがありますが、約八百年前より主に男性が道を築いて伝えてきたことには、なぜか男性として誇りのような嬉しさを感じます。
  • 千利休千利休さて、熊本藩初代藩主・細川忠興(1565-1646)は千利休(1522-1591年)の七人の高弟のうちの一人であります。また婦人は明智光秀の娘・細川ガラシア夫人であります。
  • この七人の高弟の内、細川忠興、蒲生氏郷、高山右近、牧村兵部、古田織部の五人までもがキリシタン大名でした。
  • そんな背景もあり、かなり昔から千利休は茶道の中にキリスト教の儀式を取り入れたというが語られています。
  • 「茶」という字には十字が3つもある。その「道」というとキリスト教を示唆しているようにも思えてくる。
  • ピーター・ミルワールド氏もその一人で、著書『お茶とミサ』(PHP研究所)も出されている。カトリックの司祭でもあるミルワールド氏は「ミサが茶道のルーツである」という仮説を立てておられる。
  • 千利休は文永2年、堺今市町(現在の宿院西)で豪商「魚屋(ととや)」の長男として生まれた。幼名は田中与四郎といい、17歳で北向道陳(きたむきどうちん)に茶の湯を学んだ。その後、武野紹鴎(たけのじょうおう)に師事して「わび茶」を究めた。織田信長や豊臣秀吉の茶頭を務めながら茶の湯を大成。京都・大徳寺(臨済宗大徳寺派大本山)の山門「金毛閣」を増築したことでも知られる。秀吉の勘気に触れて切腹を命じられるが、茶の湯は滅びることなく、利休の追い求めた“茶禅一味”の思想は今なお受け継がれています。
  • 当時の堺には、バテレン(宣教師)たちが多く訪ねています。フランシスコ・ザビエルも1550年に堺に来ています。利休の屋敷からわずか200メートルのところに居を構えていた茶人仲間の日比屋了慶は、キリシタンで、ザビエル他、多くの宣教師の世話をし、彼の家が教会堂(南蛮寺)となったほどです。
  • カトリック教会のミサカトリック教会のミサ当時のキリシタン人口は15万とも22万とも言われ、キリシタン大名が三割に達していました。利休が、そのような環境の中でキリスト教に接したとしても全く不思議ではありません。
  • 三浦綾子の小説『利休とその妻たち』(新潮文庫)に描かれているように、利休の後妻・おりきや娘はキリシタンでした。利休がキリスト教についての知識があり、教会で行なわれるミサにも参列しただろうと推測できます。
  • 濃茶の「回し飲み」は利休が考案したものですが、これはミサのおり、ぶどう酒を司 祭と助祭とで回し飲みすることからヒントを得たものとの説も有ります。
  • 他にも、茶道の作法の多くはミサのしぐさと共通したものが多くあります。
  • 茶菓子はキリストの体であるパンに通じ、お茶はキリストのあがないの血潮を意味する杯に通じと言われる。
  • 多くのキリシタン大名が茶碗に十字架の印を描いている。
  • 禅寺での茶会禅寺での茶会また、利休は茶室を世のものから分離された静かな場所、身分に関わらず誰もが平等で、互いを尊敬し合う所にしようとしましたが、それはキリスト教の精神に基づいているのかもしれません。
  • 茶室の出入口は「にじり口」といいますが、体を折り曲げなければ入れないような小さなものが多く、これはどんな身分が高い偉い人物にも頭を下げさせるためでもあるといわれています。
  • にじり口にじり口聖書 マタイによる福音書7章13~14節に「狭き門より入れ。滅びにいたる門は大きく、その路は廣く、之より入る者おほし。生命にいたる門は狭く、その路は細く、之を見出すもの少なし。」とあります。天国に入る門は狭いが、地獄に至る門は広々としている。天国に入るためには狭い門を通りなさい。という意味だ。
  • なぜ、狭い部屋(二畳台目・約2・75畳)で厳粛な茶会をし、出入口を極端に狭くしたかはこの辺にヒントがあるのかもしれません。真実は、当の千利休に聞くしかないかと思いますが・・・
  • 戦国の波乱の世に受け入れられ急速に広まったキリスト教、大きな変化を遂げた茶道は不思議なハーモニーを奏でているようにも思えます。
  • これらはまだ、推測の域を出ない話かもしれませんが、身の回りの日本文化を改めて観察して見るのもいいのかもしれません。
  • 谷 晃氏は「茶の湯って何?」(淡交社刊)の中で茶の湯とは茶室という専用空間で茶道具という専用容器を用いて、点前(てまえ)という演技を行いつつ、飲食をしながら、演者である亭主と観客である客が共同して場を創り出す芸能の一形態だと語られる。一般の芸能では演者と客が明確に分離されているが、茶の湯では両者の境界が明確ではなく渾然一体となるところが根本的に異なるという。日本の芸能の中では特異なものだということだ。
  • 利休の晩年、1580年代になると茶室、茶道具、点前が急激に変化しことが茶会記から読み取れるそうです。
  • 以下は今日の裏千家の茶道仲間の「心得」です。キリスト教の精神とのつながりが感じられます。
  • 茶道の真の相(すがた)を学び、それを実践にうつして、たえず己れの心をかえりみて、茶碗を手にしては多くの恩愛に感謝をさゝげ、お互いに人々によって生きていることを知る茶道のよさをみんなに伝えるよう努力しましょう。
  • 一、他人をあなどることなく、いつも思いやりが先にたつように
  • 一、家元は親、同門は兄弟で、共に一体であるから誰にあっても合掌する心を忘れぬように
  • 一、道を修め、なほ励みつゝも初心を忘れぬように
  • 一、豊かな心で、人々に交わり世の中が明るく暮らせるように




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§ 江戸のキリシタン

浅草・鳥越きりしたん殉教記念碑について

  • キリシタンという語韻からは、いつも作家遠藤周作先生の作品が思い浮かばれます。ぼくがまだ信仰というものが何も分からなかった頃、作家三浦綾子先生や遠藤周作先生の作品を読んでも、なにか異質な世界の、理解できない世界の話でしかありませんでした。
  • 浅草カトリック教会浅草カトリック教会
  •  けれど、カトリックであった母の信仰の影響もあってか、神様に出会うようになり、とくに遠藤周作先生の作品は没頭するように何度も、読み返した記憶があります。
  •  その中で、冒頭にあげたようにキリシタン受難の多くの話は、不思議に自分の心をとらえて放しませんでした、今でもそうです。彼らの記念碑や、由縁の場所にいくと、頭をさげて神妙に祈るような気持ちになります。
     遠藤周作先生の作品では長崎が、その多くの主題の地として取り上げられていますが、東京にもありました。ほとんど、地元でしたが、恥ずかしながら最近知りました。
  • 20100507b.jpgカトリック浅草教会(浅草橋5-20-5)の敷地内には「浅草・鳥越きりしたん殉教記念碑」が建てられています。
  • 1612年、駿府の岡本大八事件が江戸に波及し、2代将軍秀忠により江戸八丁堀にあったと言われる江戸修道院が破壊され、次いで1613年、浅草・鳥越の地を拠点とするようになった江戸のキリシタンたちは一斉捕縛されてしまいました。
  • 捕らえられたキリシタンたちはこの教会から東に500mほど行った浅草鳥越刑場で殉教したといいます。
  • 1613年禁教令により斬首された28名の記念碑1613年禁教令により斬首された28名の記念碑処刑地として名を残す鳥越川は不忍池から隅田川へ流れ込んでいたらしいですが、大正時代には埋め立てられてしまったようです。
  • 刑場のことは浅草橋の街のにぎやかさからは伺い知る由もありませんが、ここで殉教していった方々の名は、浅草教会の片隅にはっきりと記されて忘れられることはありません。



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§ 映画「禅 ZEN」~道元禅師の生涯

  • 昨年、始めて道元の生涯が映画化されました。原作は大谷哲夫氏の「永平の風 道元の 生涯」です。
  • 道元(1200年~1253年)は鎌倉時代に禅宗である曹洞宗の宗祖。
  • 世から認められる宗教者には共通した素晴らしい生き様と教えを見出せます。
  • 映画からとても静かな人であるとともに、弟子の育成に全力を注がれたかたなのが良くわ かります。
  • 8歳の時に「この現世の中で、なぜ人は争い、病や死の苦しみから逃れられないのでしょう。苦しみから抜ける道を、そなたに見つけてほしい」。道元の母・伊子は道元に言い残し、世を去ってしまう。
  • 24歳にして入宋し天童山の如浄から曹洞禅を継承した。
  • 帰国後、京都深草の草庵を経て、宇治に興聖寺を開いて活動を始めたが、比叡山の迫害・圧力で寺が焼き討ちにあい、やむなく離京し越前に大仏寺(永平寺の前進)を開いた。
  • 道元の迫害する敵に対しての恨みの心さえ、自ら律する姿には感服しました。
  • すべての人間には仏心が宿る。己を捨てた無我の境地でその仏心を捜すことが座禅だ と説かれる。
  • 盗人にも遊女にも時の権力者にも仏心が有ると説き、軽蔑することなく受け入れ、映画の中でそれらのもの達が帰依していく姿には感銘を受けました。
  • 若き頃に友人の公暁と外で食していた時、飢えた貧しい子供が膳を盗んだ。公暁はその子どもを刀で切り殺そうとしたが、「このような者が出ない世の中をつくるのがあなたの役目ではないか。」と解きその子供を護られた。
  • どこまでもあの世ではなく地上に浄土を作ることを解かれた道元でした。
  • 主演の中村勘太郎自信のエピソードとして
  • 「子供が親を殺したり、親が子供を殺したりする現代。今の日本に戦争はないが、鎌倉時代と今の時代は人間の心の悪という点ですごくリンクしていると思う。」と映画の意義を強調された。映画「禅 ZEN」~道元禅師の生涯
  • 21世紀はよく「心の時代」といわれる。物は溢れているが、殺伐とした人間関係の今の時代、道元禅師のような本然の心をとりもどす活動や運動がもっと必要かと思います。

  • DVDはレンタルされていますので興味のある方はぜひご覧下さい。(K・T)
  • オフィシャルサイト http://www.zen.sh/




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§ 日蓮宗・覚林寺(かくりんじ)と日延上人

東京に残る朝鮮出兵の足跡

白金台と聞くと、流行語にもなった「シロガネーゼ」という言葉が思い浮かんできます。このあたりにお住まいの、高級な暮らしをしておられるご婦人を示すようですが、元はある女性ファッション誌が作り出した言葉のようです。もちろん、この周辺にはその語感にぴったりくるようなお宅もたくさんありますが、それだけではなく、別の味わいを持った場所もありますので、ぜひともみなさんの目でそれぞれの趣を確かめてみて下さい。
今日は朝鮮王朝とも縁の深い日蓮宗の覚林寺(かくりんじ)を紹介します。
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覚林寺(かくりんじ)は港区白金台1丁目にある、日蓮宗の寺院です。山号は最正山。国道1号線と目黒通りの交わる角にひっそりと佇んでいます。

加藤清正の位牌や像が祀られていることから白金清正公(せいしょうこう)と通称されます。付近の住民からは「清正公さま」と呼ばれ、勝負祈願の寺として信仰を集めています。
例年5月4・5日は清正公祭で、虎退治の清正人形が飾られ、勝守(しょうぶ守ともいう)が領布されます。

この地はかつて熊本藩中屋敷の一部でありました。
寺は寛永8年(1631)、誕生寺18世可観院 日延上人(にちえんしょうにん)の隠居寺として開山しました。

日延上人は李氏朝鮮第14代国王宣祖の長男、臨海君の子であり、文禄・慶長の役の際に清正によって4歳のときに日本へ連れてこられた王族です。寺にはその説明文も掲げられています。

文禄元年(1592)から始まった朝鮮出兵で,加藤清正は二番手で1万の兵を率い,朝鮮に渡った。その後,破竹の勢いで首都京城に達し,さらに北上し李氏朝鮮の臨海君と順和君という2人の王子を捕らえた。だが,しばらくすると日本軍の旗色が悪くなり,帰国命令が出る。いったん兵を退いたものの,慶長2年(1597)に秀吉は再び朝鮮出兵を命ずる。清正は再度1万の兵を率いて朝鮮半島へ上陸するも,前回とは違い,初めから苦戦続きであった。明の大軍に襲われ,九死に一生の思いで帰国した清正は,6歳の女の子と4歳の男の子を連れて帰った。この2人の子は,文禄の役で捕虜にした臨海君の子供で,4歳の男の子が,後の日延上人である。
何故,清正が王族の子供を日本に引き連れてきたのかは謎だという。20100419i.jpg

親と離ればなれになって日本にやってきた日延は,日蓮宗に帰依していた清正のはからいにより,博多・法性寺にて出家して台雄または大応(たいおう)と号した。

16歳になった上人は、京都・本圀寺、下総・飯高檀林に学び、やがて寛永4年(1627)現在の千葉鴨川市にある小湊・誕生寺に迎えられ、名を可観院日延と改めました。
やがて最高位の18代貫主までつとめあげられました。

貫主を退きのいた後,日ごろ清正公に育てられた恩義を感じ、また、清正公の遺徳をしのんでいらした上人は、寛永8年(1631)この土地に覚林寺を開創し、清正公の随身仏である釈迦牟尼仏を本尊とし、さらに清正公をも一緒にお祀りされたのであります。
この境内の土地は日延上人が水仙の花の栽培に長じていたところから、幕府から水仙畑として賜ったといわれています。現在の国道を越えたところまで境内はあったそうです。

寛永7年(1630)2月、江戸城で行なわれた身池対論(身延山と池上本門寺との争い)に巻き込まれ、幕府より追放と流罪の科を受けた日延上人は、寛永9年(1632)博多・法性寺に身を寄せ、福岡藩主・黒田忠之の帰依を得て薬院(現・警固)に9000坪の寺地を賜り、香正寺を創建しました。

萬治3年(1660)日延上人は、故国朝鮮の見える地に居住せんと藩主に願い出て、伊崎の浜(現・唐人町)に3000坪の寺地を賜り、「海福山妙安寺」を建立して隠居、寛文5年(1665)正月26日、喜寿を迎えた上人は、その波乱に満ちた生涯を異国の地で終えられたのです。

覚林寺を管理されている奥様に「韓国人のかたもお参りに来られますか?」と聞いてみましたが、「お参りに来られているようだけども、お互いの国の拉致問題もあるのであまり話はしないです。」と語られた。
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上人について調べていくと人生の苦悩も見えてくる。江戸幕府の下で朝鮮通信使の往来をあり、自由の身であった上人には朝鮮に帰る道も有ったはずだが、当時朝鮮王朝内(身内)で激しい権力争いが有った。朝鮮に帰るにも帰れない辛い事情が有ったようだ。

王族であられながら幼少に拉致されて日本に連れてこられ深い寂しさと恨みも持たれたでしょうが、日蓮宗の教えに帰依され、帰郷の思いも持ちながらも一生を日本で布教と民衆の為に捧げてこられた尊いお姿が見えてくる

今でも日蓮宗は宗派こそ多いが、新興宗教の創価学会・立正佼成会・霊友会も含めるとまさに国民的宗教であります。日延上人の偉業を感じます。

私は日延上人についてまだ肖像も探せておりません。上人について少しでもわかるかたが居られたら是非教えていただければありがたいです。      (タニ)




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§ 光明皇后と阿修羅像

奈良・天平時代に伝来した景教

20100419.jpg昨年は興福寺所蔵の阿修羅が全国の博物館で一般公開され、一大ブームとなりました。
歴史好きな私もゴールデンウイークには上野の東京国立博物館の阿修羅展に行きました。
阿修羅像は聖武天皇の后であられた光明皇后が亡き母のために作られた仏像だそうです。
私はこの像にこの世を抱擁する心を感じ、マリヤ像に近いものを感じました。

歴史好きが高じて様々な歴史研究家の講座にも参加しておりますが、天平時代にすでにキリスト教が伝わっており、朝廷でも受け入れられ信奉されていたそうです。学校の教科書にもない内容に最初びっくりしましたが、知るほどに興味が深まります。当時の仏教にも大きな影響を与えていたと思われます。
では、以下ご参考ください。


◎「日本・ユダヤ封印の古代史2 [仏教・景教編]」久保 有政、ケン ジョセフ著より抜粋

日本のキリスト教の伝来は、西暦1549年の、イエズス会士、フランシスコ・ザビエルの日本来航による」といわれていますが、実は天平時代までさかのぼれます。       
 日本に来た景教徒に関する最初の公式記録は、『続日本紀』(八世紀)に見えます。
西暦736年6月、景教徒であり医者でもあった李密翳(りみつえい)というペルシャ人が、日本にやって来たと記録にあります。また彼と一緒に、皇甫(こうほ)という景教の教会の高位の人物と思われる人もやってきま した。
 またその11月には、彼は天皇から位を授けられています。滞在6ヶ月にして位を授けられているところをみると、皇室とペルシャ人景教徒・李密翳らとの間には深い関係が出来たもののようです。

李密翳は宣教師でしたから、皇族に対しキリスト教の伝道をしたようです。
実際、以後宮中の記録に、それまでに見あたらない「景福」という景教用語が散見されるようになります。
741年(天平13年)の「国分寺建立の詔(みことのり)」の一節にも、「あまねく景福を求め・・・」とあります。「景福」は「大いなる幸福」あるいは「景教的幸福」を意味し、「大秦景教流行中国碑」にも見られる景教用語なのです。

李密翳が日本に来たときの天皇は、「聖武天皇」(701~756年)であり、その妃は「光明皇后」(701~760年)でした。
 光明皇后は、景教の宣教師・李密翳との出会いの後、貧しい人々のために病院を建てたり(療病院)、無料で薬を恵んだり(施薬院)、孤児院をつくって孤児たちを養ったり(悲田院)とたいへん慈悲深いことを数多く行なうようになりました。
  奈良の法華寺には、光明皇后が患者の膿(うみ)を吸って吐き出したという浴室が残されています。彼女自身、看護婦として働いたのです。ナイチンゲールやマザー・テレサのしたようなことを、今から1250年も前の日本人が行なっていたのです。
この光明皇后は仏教信者であったと、一般には説明されています。20100419b.jpg
ところが、貧しい人や病人、孤児たちを助けるというのは、昔から景教徒が盛んに行なってきたことでした。シルクロードのどこでも、景教徒たちは光明皇后のようなことをしていたのです。
一方、こうした慈悲や福祉活動は、当時の仏教徒が行なっていないことでした。当時の仏教は国家安泰・鎮護のための宗教だったからです。

国分尼寺を「法華滅罪」の寺と呼んでいますが、仏教には本来「罪」の概念はありません。なのに「滅罪」という言葉が生まれてきた背景には、景教の影響があるといわれています。


※景教(けいきょう)
キリスト教で中国に最初に伝来したネストリウス派。ペルシアで発展し、唐の都長安に伝えられた(635年)。
初めは波斯(はし・ペルシア)経教といったが、やがて大秦(たいしん)景教あるいは景教と称するようになり(大秦はローマ帝国。景は光り輝くの意)、その教会の名称も大秦寺といった。
唐王朝の保護を得て各地に大秦寺が建立されて教勢の盛んなときもあったが、武宗皇帝による845年の仏教禁圧の巻き添えを食って衰え、元王朝の時代に多少盛り返したが、元の滅亡とともに中国から姿を消した。
キリスト教の理解や布教のために儒教・仏教・道教の用語が使われたことが、「大秦景教流行中国碑」の碑文や20世紀の初め敦煌の石室から発見された漢文の経典類からうかがうことができる。
 弘法大師・空海も中国留学僧の時に学んだと伝えられている。




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§ 夫婦は宇宙の代表

夫婦が出会うということは一人の男性と一人の女性の出会いという単純なものではありません。

 人間は小宇宙であるという表現があるように、人間の肉身(体)も霊の体(心・魂)も宇宙全体に負けない複雑で高度な機能を備えています。

 愛の世界においても、夫婦の愛は限りなく立体的であり代表的愛なのです。

 家庭において夫は全ての男性格を代表し、妻は全ての女性格の代表です。

 神を中心として一体となった夫婦の愛には、年齢や立場の違いを越えて互いに異性の世界とも心情的に融和する力が内在しています。

 また夫婦は人類の半分を代表し、本然の愛で愛し合う事は全ての男性、全ての女性を愛したと同様の価値を生み出します。

 その事が分からず、自分は自分だけの為の小さな存在に過ぎないと考えるところに無責任性に由来する多くの犯罪行為が生まれ、人生の悲劇が始まるのです。

 さらに、夫婦は天宙の全ての陽性と陰性を代表し、二人が一体となった位置は宇宙の中心としての重さを持つようになります。

(済州国際修練院・済州島便りHPより抜粋)


夫婦関係が冷め掛けていましたが、これを読んで原点に返って夫婦関係・家族関係を見つめ直したいと思いました。   (かつ男)          

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§ 人生の中に神の恵みあり

~いつも神の恵みがあります

人生にはいろいろなことが起こるものであります。
この世に生を受けて、結婚し、あの世に召されるまで、まさにドラマのようであります。
一見不幸のどん底に見えることも実はその者に必要であり、その者を新たに生まれ変えさせてくれるものであることが歩むにつれてわかってきました。
神は私たちに悟らせたいことを様々なできごとを通して働きかけ、その者や周りの者が人生の本質を知り、幸福に至れるように導かれています。

わたしは24歳で結婚して27歳のときに最愛の妻を病で失いました。
この3年間においてわたしは何物にも変えがたい貴重な体験をしました。
今日はこのことをお話したく思います。
結婚して3、4ヶ月のことでした。手がこわばるとか体調の不良を訴えていました。
病院での精密検査の結果、首の脊髄に悪性で進行性の神経腫瘍が見つかりました。
大病院で1ヵ月後手術をしましたが、あまりにも切除が難しいゆえに患部を残したまま手術は終わりました。
その後放射線治療も空しく、病は脳へと進行して、歩行もできなくなり、盲目になり、自分で呼吸もできなくなり喉に人工呼吸器を付け、亡くなる前の13ヶ月間は植物状態でありました。医師からは余命半年と言われましたが、奇跡的に長く生きられたと思います。

手術をしてまだ日が浅い頃は「病が治って障害が残っても、この人を一生支えて共に生きよう!」と涙ながらに決心しました。
しかし、病はどんどんと進行していき、絶望感に何度も陥りました。

「教会で結婚式を挙げて神様が私たちを祝福して下さったのに、なぜこのような大変な不幸な窮地に会うのだろうか。」毎日悩みの淵に立ちました。
しばしば教会の年長の婦人に夜電話をし、1時間も2時間も話を聞いてもらったことが思い出されます。いつもわたしは同じ話を繰り返しているにもかかわらず、よく話を聞いてくださいました。

彼女の病から一年経ったころには、わたしは心身ともに疲弊して限界に達していました。
それでも目の前の現実は変わりなく悩みとしてまとわり付いてくるかのようでした。
表現すれば心身ともに「ぼろ雑巾のような姿」でありました。重い足と心を引きずるように毎日病院に通い、夜はそのまま病院に泊って看病することも多くありました。
彼女の両親も毎日のように来て下さり、お母さんは週2晩か3晩は付き添いで泊られました。両親も我が子の姿を見て辛かっただろうと思います。

そんなある日、同じように重い心で病院に向かう途中に、突然ある言葉が胸に飛び込んで来たのです。
「愛は受けるよりも与えるためにあるのだよ。」…今でも鮮明に心に残っています。
この後、この言葉はなんなのだろうと何度も考えました。
すると自分の姿が見えてきました。
「愛されるから愛することができる条件的な愛。自分が相手の為に存在するのではなく、相手が自分の為にいると考える。相手を利用する」自分の姿…。
料理も裁縫も何もできない、尽くしても笑顔すら何も返って来ない…苦労しか返って来ない彼女に対して幻滅を感じ、不満を持っていた自分でありました。
「善人を装った偽善者」であったことに気が付きました。
自分の今までの人生27年間はこういう醜い姿の自分であったかと思うと泣けてしょうがありませんでした。

「自分はこの人の為に存在するのだから、ただ尽くして愛していけば良いんだ。」と決心した途端に一瞬にして心と体が軽くなり、明るくなったことをよく覚えています。
暗く重い世界からまばゆい明るい世界に開放されたような気持ちでした。

それから彼女が天に召されるまでの9ヶ月は明るく接することができ、2、3時間しか寝なくても体も疲れ知らずでした。
看護婦さんたちも変わった私の姿がわかり、「このような大変な中で、どうしてそんなに明るくできるのですか?」と尋ねてこられました。婦長さんにお話をさせていただきましたら、数ヵ月後に病院の機関紙のエッセイで私の体験を綴って下さりました。

この体験を通して、人生において神が共におられることがわかり、また「愛は受けるよりも与えるためにある。相手が自分のためにいるのでなく、自分が相手のためにいる」ことを諭していただきました。
このことは今の私の人生の生き方の根本精神として活きています。

今は彼女が昇天してから7年後に再婚して長男と長女にも恵まれました。これも神様の深い愛を感じます。20100410.jpg

今現在人生のどん底にいるかたも居られると思います。
一緒に苦楽を分かち合いたく思います。
よろしかったらお便り下さい。  (カズ)



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§ 世界で注目されるID
  (インテリジェント・デザイン)理論

生物はダーウインのいう様に偶然の突然変異で進化してきたというならば、人間の尊厳性がゼロとなってしまわないだろうか。すなわち人間も物扱いになるまいか。
おそらく、人生観もまるで違ったものになろう。
私は今、世界で注目されるインテリジェント・デザイン理論 (ID理論)を支持しています。
世界ではノーベル賞クラスの学者達も研究に参加しています。
創造主としての神が宇宙・万物・人間等をデザインされながら創造したという考えなので、多少宗教掛かっていると思われるかたもいるだろう。・・・ いや大いにいると思う。
しかし、進化論が正しいか、神の創造論が正しいかはこのID理論の研究から導き出せると思う。
もし、神が創造したなら、どのような意思や計画を持って宇宙・万物・人間等を創ったかを一度は人生の中で考えてみても良いかと思い私も学んでいるところです。
個人・社会・国家・人類が幸せになることができる理念があるならば、それは真理であるといえます。
IDはアメリカの学会が総本山ですが、日本にも学会があります。渡辺久義先生(京都大学名誉教授)が代表をされています。
関心をもたれたかたは、ぜひ学会HPへアクセスしてみてください。 (Kellogg )


創造デザイン学会 http://www.dcsociety.org/index.html

(設立の趣旨から抜粋)
創造デザイン学会は、この宇宙が創造者によって計画され目的をもって創造されたと解釈することが、科学の精神に悖る ことでなく、かえって真の科学として最も有効な仮説であるという立場に立つ。
 創造デザイン学会は、自然科学者のみならず、哲学、医学、技術、教育、芸術等、あらゆる分野の研究者を、価値の絶対性、人間存在の尊厳性という理念のもとに糾合するものである。そうすることによって、これまでの科学では解き明かされることのなかった現実世界の真実の姿を解き明かすとともに、現在、我々の直面するもろもろの現実的困難の解決の道を探り、人類の 恒久平和、永遠無窮なる幸福な社会の建設に寄与しようとするものである。


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§ 李ヨハネ先生の講話から  動画再生

昨年3月荒川教会に李ヨハネ先生がご訪問くださり早一年が経ちました。
これは済州島での講話ですが、教会員のかたにもそうでないかたにも、とても良いと思いましたので投稿させていただきました。

①心を根本として暮らしましょう
宗教的な行いは、もともと真の自分を求めるためのものですが、儀式の為の儀式になってしまうことがあります。
天に敬拝を捧げるのも、侍る心を求めるためのものですが、形だけになってしまうと、むしろ真の自分にとっての障害となります。
神様とイエス様の恨(無念な心)を知らない信仰は偽善的になりやすいのです。
私たちは、神様のご苦労を涙で体験した息子、娘になっているでしょうか。
子供の世界は観念と心情が分離していません。子供にはウソと偽善がありません。
聖歌一曲も涙の為の聖歌です。心情を求めるためのものです。
挨拶一つも心からすべきでしょうか、観念的に習慣的にすべきでしょうか。
それが分からない人は心を捨てた人です。
yohan_01.jpg 健康な人は食べるのが嬉しくて、心情の湧きあがる人です。食べ物を口に入れると美味しさによって心が喜ぶ人。
肉心的に生きている人はその喜びを失っています。
心の無い人は生きるのもやむを得ず暮らしている人です。
心を根本にして暮らすのが、真の自分を求めるということです。
やむを得ずというのは愛着心がありません。
 孝とは、自分より親を大切に思うことです。
親の悲しみを自分の悲しみとして感じ、親の願いを自分の願いとして果たしてあげたいと思う心です。
人間は自分から生まれてきたのではなく、主体の願いの中で生まれてきました。
自分を肯定して生きようとするところから葛藤が生じます。
心は為に生きることを喜びと感ずるのです。
自分を否定するところから出発するのが為に生きる人の生活の仕方です。


②親との関係を正しく持ちましょう。
親との関係を正しく持てない人が、結婚をして夫婦の関係を真には出来ません。
親との関係で葛藤する人の未来は塞がれます。
お母さんに侍る心を持たずに結婚して夫婦がお互いに侍る心を持つことが出来るでしょうか。
yohan_02.jpgだから多くの人は結婚をしたら地獄を体験するようになります。
結婚する前は課題があっても自分の事をお母さんが信じてくれます。お母さんが犠牲になってくれるために、希望があるように見えるのです。
しかし、結婚してみるとお互いにお母さんの様な夫、妻にはなっていません。
お互いに衝突してしまいます。だから、結婚して地獄のような生活が始まるのです。
 ですから、結婚する前に怨讐を愛する訓練をするのです。
他人を愛して、侍られる関係を作ってから結婚に向かうのです。
結婚して夫婦で葛藤が始まったら人生はそれでおしまいになってしまいます。球形運動の神の愛を実現できなかった終点です。
横的な友達関係だけで生きる人は我が強くなりやすいです。
先生や親との関係を強く持つようにしなければなりません。
お母さんの教育を正しく受ける人は内的にとても強くなるし勉強もします。
良心の働きが強くなるためには、両親との関係を正しく持たなければなりません。

③侍る生活をしましょう
親の使命は子供に侍ることです。
子供に対しても尊敬語を使うようにしなければなりません。
子供は神様の希望の実体であり、未来性を持ちます。ですから、未来に向かって尊敬
語を使うのです。
自分の血統の中に生まれていますが、創造は神様です。
自律性を尊重し、主管と命令ばかりしていてはいけません。いつも話し合いをしながら、その人の願いを共有するのが親です。
自分の経験だけを中心として主管しようとすると子供は反感を持ちます。
本性を持つ人を主管したら反発をするのです。
親は子供に侍るべき責任者です。 
夫は奥さんに侍るのです。侍らなければ、奥さんに侍られる夫にはなれません。
見下げれば、自分が蔑視されるのです。
奥さんはその家庭の全運勢を持った方です。
これまで男性はサタン的(自己中心)に女性を主管してきました。だから、今の社会では女性は男性に主管されたがらなくなっています。子供たちも親に主管されたがりません。 家庭は球形の愛で暮らすところです。
球形には上も下もないので、お互いが侍りあいながら暮らすのです。これが神様から祝福を受けた家庭の家庭観です。 
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§「同行二人」(どうぎょうににん)

私の故郷は四国・松山だ。子供の頃からお遍路さんの姿をみて過ごしてきた。
白衣に半袈裟、脚絆、そして「同行二人」と書かれた菅笠。懐かしい光景だ。

遍路は四国八十八箇所の霊場をめぐり弘法大師・空海が修行で四国を巡礼した足跡をたどる1200kmの旅だ。
今は年間40万人が遍路をするそうだが、遍路の旅の始りは伊予の豪族であった衛門三郎(えもんさぶろう)だと言われている。

ある日、門前に乞食坊主がやってきたので冷たく三郎が追い払うと坊主の持っていた鉢が地面に落ちて八つに割れた。その夜から三郎の八人の子供が日に一人ずつ亡くなっていき、八夜にして全員の子供を失ってしまった。「あの坊さんは弘法大師であったか‥」三郎は大師に謝らねばと考え、大師の後を追って四国中を 歩く。しかし大師には逢えずにいた。しかもだんだん三郎の体も弱ってくる。「このままでは生きてお大師様には逢えない・・・」三郎は四国を反対に廻り出した。これなら大師に逢えるはずだ。三郎が大師に会えたのは伊予の道後であった。もうその時は三郎は死ぬ寸前だった。三郎は大師に抱かれて死んでいった。
その時弘法大師は三郎の手に小石を握らせた。同じ時刻、伊予の西条で小石を握って生まれた赤ん坊がいた。三郎は生まれ変わったのであった。
道後の五十一番の札 所の石手寺(いしてじ)という名の由緒だ。
我が家の菩提寺がこの寺の近くにあり、親に連れられてしょっちゅうお参りをした。洞窟のような薄暗い参道に迫力のある地獄絵図があり子ども心には怖かったが悪い事はできないと思った。

dougyou.jpg「同行二人」の意味は弘法大師がついて一緒に歩いてくれている、目に見えなくてもそう思う人のそばに必ずいてくれているという意味だそうだ。人生も遍路旅だと思うと弘法大師のような立派な師やさらに神仏が供に一緒に人生を歩んで下さっていると思えば心強い。

「誰も自分のことは解ってもらえない、誰も関心を持ってくれない。」と自分を嘆く人もいるが、
そうではないことを伝えたくなる。(K・T)





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§宗教者パートナーシップのための
  特別講演会開催(3月22日)

宗教者同士が相互理解を

  • 教会員向けの特別講演会が催されました。
  • 講師はまず、文先生のお話を引用されて、「為に存在する宗派があれば、その宗派に対してその宗派以上に尽くしなさい。そこにおいて一つになれる。」(希望の日晩餐会時のお話)maeda.jpg
  • 「私は教派を創ろうとしたのでありません。教派を超越した超教派的面において運動をしたのですが、受け入れられなかったのです。それで仕方なく統一教会を 創ったのです。」(創設時のお話)と語られ、文先生が宗教人、宗教者を尊びながら焦点を当てられてこられた精神をお話されました。
  • また、宗教者同士が相互理解をし、共通の価値と目的を持って活動していく必要性と宗教界の未来像を語られました。  (カズ)





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§ミッションスクールで「蟹工船」上映に嘆き!

昨年の5月頃である。わが子の受験の件で白金にある明治学院を訪ねた。
大学の3号館で何か催しがされていたので立て看板見てみると「蟹工船上映会」と書かれていた。一瞬目を疑った。
映画が若年層に人気があるとはニュースで聞いていたが驚いた。
明治学院は日本で最も伝統のあるミッションスクールであり、建学の精神として「キリスト教主義教育」を掲げている。
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数年前より経済格差により政府批判・共産主義革命の思想(基本的に無神論)の魔の手が社会に蔓延しているそうだ。
ここ数年間、共産党員が年々増えている話も聞いている。
ミッションスクールで堂々と映画が上映されたことには嘆きを感じた。  (カズ)
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§2月17日 世界7万組合同祝福式挙行

  • 統一教会が主催する祝福結婚式が2月17日韓国高陽市にあるコンベンション施設KINTEXで行われました。1.jpg
  • 世界中から約7000組の新郎新婦をはじめ元国家元首や宗教指導者が約2万人参加。 式の模様は194カ国でインターネットで生中継され、合わせて4万3千組が参加しました。
  • 世界の宗教指導者が集い、参加者の為にまた世界平和の為に祈りを捧げました。
  • ガイアナのグリーン元首相が祝辞を述べ、『神様の真の愛は家庭を通じて実践されなければならない。祝福結婚は現代社会の過ちである家庭の崩壊を解決しており、国際的に大きな関心事になっている』と語りました。 (世界日報の記事をより)
  • 2.jpg
  • 統一教会の推進する祝福結婚式参加者の離婚率は低く、全世界で家庭再建に大きく貢献しています。
  • 結婚や家庭に希望を持てなくなっている今の時代に、この祝福結婚が今後日本、全世界で更に多くの人たちに希望を与え、拡大していくことを思います。

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§上野の長谷川等伯展にて

  • 先日、国立東京博物館の長谷川等伯展に行ってきました。長谷川等伯は安土桃山時代に活躍した鬼才絵師だ。
  • まさに圧巻の多彩な作品には驚いた。
  • その中でも「海棠に雀図」という親鳥が餌を銜えて三羽のわが子に与えようと歩み寄っている描写が素晴らしい絵が一番心に残った。
  • hasegawa.jpg一見何気ないような写生画だが見るほどに感銘を受けた。
  • 描かれたころから400年余りの歳月を越え、親心が滲み出た作品だ。動物の愛情がこうであるならば人の愛情はもっと深くあるはずであると思った。等伯は本当に心豊かで幸せなかただと思った。
  • 神は愛の動機で宇宙、万物、人を創られたと聞いている。愛がすべての根本にあることを感じたひと時でありました。
  • なお、当展示会は3月22日まで開催されています。 (K・T)

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§公立学校の宗教的教育について

  • 今の公立中学・高校が荒れている原因の一つとして国の法律で宗教的なものを一切持ち込んではならないと謳われていることがあると思います。
  • 私は公立の小学校でしたがクリスチャンの先生がおられ、よく胸の前で十字を切っておられました。子供心にも悪くは思いませんでした。
  • 戦後GHQが日本が再びナショナリズムに走らないよう公立学校における神道的宗教教育をなくしてしまいましたが、日教組(共産党)がそのことを悪利用して弊害が現在に至るまで起きているのではないでしょうか。
  • 家それぞれ宗教・宗派がありますから宗教のようなプライベートなことは家庭で教えるのが基本ですが、宗教の共通項はあると思いますのでそれにのっとった基本精神は必要かと思います。お互いを尊重し合うことや命の尊厳性や先祖を敬う精神・愛国心等がこれに該当するかと思います。
  • 人を大切に思う精神を持てば「いじめ」等はなくなるのではと思います。
  • また学校教育でのダーウインの進化論教育や科学万能的な考えが、殺伐とした心を生み、左翼運動・共産主義運動・反政府運動を生んできてしまったのではと思います。
  • 人間の心に原点に帰り、神仏や先祖・人を尊び・感謝する教育こそ絶対必要と私は考えます。

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