宗教トークカフェ|荒川ムーンカフェ



世界基督教統一神霊協会 荒川教会壮年部



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§今の時代、歴史観が重要ではないでしょうか。

宇宙・地球・人類歴史は一貫した目的・方向性を持っている

  • ●今の時代、歴史観(歴史哲学)が重要では
  • 最近、世界も日本も希望的な将来が見えにくい現実の中、人生や仕事、教育、政治、経済などを考えることも重要なことだが、はっきりとした歴史観を持つことの重要さを思うようになった。
  • 歴史観は世の人たちを善にも悪にも誘導し、時には振り回すことさえある。
  • たとえば、最近話題になったマヤの予言のような類のものは、人類は滅亡することを告げているが影響された人には虚無感を生む。
  • また、唯物史観、弁証論的唯物論から続々と共産主義国家が誕生するようになったことからもわかる。
  • ところで、すべての存在には存在の意味と目的性があるのであろうか?無いのであろうか?
  • 宇宙や太陽系・地球、人類の存在はどうなのだろうか。
  • 今まで古今東西の良識ある科学者や哲学者、歴史家が追い求めてきたテーマでもある。
  • ●宇宙の生成
  • 最新の科学では宇宙は無から始まり、素粒子に満たない一点を基点にビッグバンを経て宇宙は拡張し、今もなお拡張していることがほぼ明らかにされている。
  • なぜ無から有なる宇宙ができたかは科学ではまだ全くわからないそうだ。
  • 宇宙と太陽系・地球と人類にはそれぞれ歴史があるが、なんとなく成り行きで流れてきて、今後も流れていくのだろうか?そうなら虚しい歴史ともいえる。
  • それとも、あるはっきりとした意味や方向や目標が有って動いているのでしょうか?
  • ●アウグスチィヌスの歴史観
  • アウグスチィヌス(354-430)は『神国論』で神が悪魔に勝つようになる歴史として、目標に向かう意味ある歴史として説いた。しかし、歴史の進行は神があらかじめ定めた計画に従うものであった。人間にはどうすることもできないという歴史観であった。
  • ●トインビーの歴史観
  • 英国の著名な歴史学者トインビー(1889-1975)は高等宗教と文明との因果関係を研究しながら、神の介在された歴史について模索した。そして歴史に法則があることを発見し、斬新な世界観と歴史観を提示した。しかし、万人が納得できる本質までは解明できずに昇天された。
  • トインビーは戦後のアメリカの反共政策を失策として批判したが、共産主義には理解が甘かったようだ。
  • ●統一思想の歴史観
  • 統一思想では宇宙の歴史から人類の現在の歴史に至るまで統合されて説明がされている。素晴らしい理論だと思います。
  • 掻い摘んだ要点ですが、
  • 宇宙や地球・森羅万象の創造がすべて人類のためであった。
  • 人類は神の子女であり、宇宙の中心存在である。歴史の主役だ。
  • 人類始祖アダムとエバの堕落の結果により、人類歴史は救援を求める歴史となり神が今まで導いて来られた。
  • ●神の存在を知って
  • 私自身、26年前に統一原理を聞いて人生観が一変したことを思い出します。若干二十歳でしたが、神の存在を知った衝撃は忘れられません。
  • 神という存在がいるか、いないかの認識によって人生観は変わるものです。
  • 統一教会の信仰を持ったとき、別人のようになったという方がおられましたが、特別変なことでもないです。
  • 一人の人間が子どもから大人になるとき、自分が男性であることを意識するようになると、女性を自然と求めるようになることと似ています。
  • ●地球史の神の存在
  • 一時大型恐竜の帝国時代があったが、急に絶滅したことに対して、なぜそんな無駄な創造を神はしたのかと思い、神を信じないかたもいるが短絡的思考ではあるまいか。私たちも何かする場合のプロセスは回り道をすることもある。神ご自身も全知全能とはいえ、創造される上でいろいろ思慮模索されたのではないでしょうか。
  • ●人類歴史はいつから始まったか
  • 人類の始まりについて学者は様々な見方をするが、基本はアダムとエバが創造された時だと思います。
  • 人類の発祥地の説はアフリカ発祥説など山のようにあるそうだ。
  • 類人猿と人類の区別は精神や文化程度を見れば付くが、ただ化石を見ても付けようがない。
  • たとえばシベリア説というのがあるが、直立姿勢になったとか、脳が大きくなったからと言ってそれが人類の始祖だと直ぐに決定づけることはできないのではなかろうか。
  • ●今の終末の大混乱期に
  • キリスト教の聖書では終末には「大きな患難」が起きるとされていますが、統一思想では天変地異が起きるのではなく、予想しない事態が続発し、社会が大混乱に陥ると見ます。
  • なぜそうなるのか、その理由も解明されなければならないと思います。
  • また、真の理想世界では、全人類がみな幸福にならなくてはならないと見ます。
  • 読者の皆様にも統一思想・統一原理を是非深く学んでいただければ幸いです。(K・T)
  • クリックすると拡大表示します宇宙歴史~人類歴史の目的・方向は・・・









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§ 「千の風になって」の新井満氏の著書『死の授業』に思う

  • 新井満さんが、10月に『死の授業』(講談社)を出版された。
  • 2009年1月に母校・新潟市立寄居中学校で中学2年生を前に教壇に立った模様が放映されたNHK総合テレビ『課外授業 ようこそ先輩』をベースに執筆されたものだ。
  • 授業のテーマは「死」であった。
  • 新井さんは秋川雅史さんが歌った『千の風になって』の訳詞・作曲をした作家で、シンガー・ソングライターである。
  • 新井さんが、中学生たちに伝えたいメッセージは、「死を通して、生を考える」というこ
  • とだった。
  • その為にまず、自分の好きな人や、モノの絵を描く。その絵を使って、新井さんはその絵を燃やすことによる「死の実験」を行う。実験を通して、「死」について深く考えた中学生たちは、翻って「生」に目を向ける。
  • そこで、新井さんは生きていく中で、「自分なりの役割」があるのではないかと子どもたちに問いかけます。
  • 「人は役割があるから生まれてくる。」私はとても良いフレーズだと思います。
  • 新井さんは少子化で人口が減っているにもかかわらず、追い打ちをかけるように自殺者が増えていると嘆かれる。
  • 最近も小学6年生の女児がいじめを苦に自殺した。全く痛ましい事件だ。
  • 新井氏は子供たちに死の重さを実感したもらい、死がいかに切ないか、悲しいか、辛いかを骨の髄まで知って欲しかったと語られる。
  • ところで、子どもに生きるということを自覚させる方法はいろいろあるかと思いますが、
  • この世に生まれるということ、生きることの意味、死の意味、あの世の意味を知る人生観や哲学がないと本当の意味で根本的に生を考えるアプローチとはならないのではないでしょうか。
  • 新井さんのように目の前ですさまじい新潟地震(昭和39年6月16日・マグニチュード7.5)を体験した人には生と死が鮮明に焼きつくかと思います。
  • しかし、新井氏のアプローチは電気ショック的なアプローチなので、純粋な若者にはいいかもしれないが、大人には難しいかも知れない。
  • 統一原理では神から与えられた人生を
  • ①母親の胎中生活(約10ヶ月)、②地上生活、③霊界での永生生活の3ステージでとらえ、それぞれに貴い意義があることを説いています。
  • 特に②の地上生活では結婚や家庭、ために生きることを通しての愛の体恤の重要性を説いています。
  • また、③の霊界生活をはっきり知らないと、どういうことになるのでしょうか。
  • A.命を粗末にするようになる。
  •  死ねばすべて無になると考える人が追い詰められると、自殺の道を選ぶようになる。しかし、自殺は霊界において、最も悲惨で苦痛を生み出す結果となる。
  • B.愛を粗末にするようになる。
  •  霊界での永生生活が分からないと、地上での人間関係や結婚の意味も本質的に分からない。夫婦関係は霊界でも永遠に続く、最も重要で密接な関係である。離婚や不倫による夫婦関係の破壊は、神や天国から最も遠い行為と言えます。
  • C.死を粗末にするようになる。
  • 死をただ悲しむべきものとして考えたり、忌むものと考えるようになる。
  • 死は第二の生・霊界の誕生日であることをはっきりと知る必要がある。
  • 人は死後の世界まで含めたはっきりとした善に生きる人生観を持つことが必要なのを思います。
  • そうすることで生きる価値や人生の意義をはっきりと知り、「生きがい」(存在感)を持つことができ、「幸福」を感じられると思います。
  • 統一原理はどのような方にも必ず希望と幸福を与えてくれると確信しています。




  • ●天聖経の文先生のスピーチより
  • 死とは、人間が肉身生活を終えたのちに第二の出生をすることです。第二の出生をするところ、死んでから行く世界がすなわち霊界です。その霊界に入って、第三の父母である神様から宇宙全体を代表する真の愛を供給してもらうのです。霊界は愛を呼吸して愛を中心として生きる世界です。それで(地上生活で)完全な真の愛の人格を成すことができなければ、行ったり来たりする道が制限され、四方に通じることができません。ドアを通っても、一つのドアしか通れないのと同じです。春夏秋冬いつでもどこでも、合わせて生きることのできる資格をもつためには、地上生活において完全な愛の人格を具備しなければなりません。
  • 私たち人間の一生は腹中時代十カ月、肉身時代百年、そして霊魂時代千年、万年を永遠に生きるのです。赤ん坊は生まれてすぐに泣くと同時に、鼻の穴で息をする第二の世界、すなわち空気の世界につながるのです。腹中から空気の世界につながる時には、腹中の世界で生きていたへその緒と水袋をみんな破壊して出てこなければなりません。それら死(破壊)と同時に、地球星という母親から生まれたのです。生まれると口で食べ、鼻で息をします。ところで地上で食べる食べ物 は肉身が生きるのに必要な栄養分であり、本質的生命要素ではありません。本質的生命要素はすなわち愛です。それで、この世で愛という空気を吸わなければなりません。母親、父親から愛の空気を吸わなければならないのです。




  • 私のお墓の前で 泣かないでください新井満氏新井満氏
  • そこに私はいません 眠ってなんかいません
  • 千の風に
  • 千の風になって
  • あの大きな空を
  • 吹きわたっています
  • 秋には光になって 畑にふりそそぐ
  • 冬はダイヤのように きらめく雪になる
  • 朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
  • 夜は星になって あなたを見守る
  • 私のお墓の前で 泣かないでください死の授業死の授業
  • そこに私はいません 死んでなんかいません
  • 千の風に
  • 千の風になって
  • あの大きな空を
  • 吹きわたっています
  • 千の風に
  • 千の風になって
  • あの大きな空を
  • 吹きわたっています
  • あの大きな空を
  • 吹きわたっています






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§ 神の人の創造と人の罪

  • ウェブ・ラジオの福音説教で神の人の創造と人の罪についてとても分かり易いお話がありましたので紹介します。
  • 日々、神の創造の業の素晴らしさに感嘆するとともに、罪の性質から来る自己中心の思いに苛まされることもあります。しかし、この罪の性質を抜き出さない限り、偽りの愛でしか人を愛せず、本然の性質を発揮できない自らであることを思います。



  • ●私たちを素晴らしいものとして造られた神
  • 聖書によればこの宇宙も、この地球もそして私たち人間も全ては創造主によって造られたとあります。この創造主のことを聖書は神と呼んでいます。そしてこの神が人間を造られたとき、この人間を見て「非常に良かった」と言われたと記されているんですね。確かに私たちの体はとても素晴らしいものとして出来上がっています。筋力ひとつをとっても今も言いましたように、その潜在能力は計り知れないものがあるんです。これは何もアスリート達のものだけでなく、誰もが持っている力なんです。私たちの体の素晴らしさには本当に驚かされます。心臓は毎日毎日8トンもの血液を全身に送り出しているんです。肺は寝ているときもいつも瞬時に酸素と二酸化炭素のガス交換を行い、肝臓は一切産業廃棄物を出すことなく膨大な化学処理をする工場として働き続けています。脾臓や膵臓にいたっては、私たちがどんな働きをしているかも知らないのに見事に働きをし、この体を維持しています。骨も筋肉も皮膚も爪もそれぞれの働きは実に素晴らしく、人間が走っても飛んでも跳ねても泳いでも大丈夫なように作られているんですね。本当に素晴らしい出来栄えです。神様がそれを見て、非常に良かった、と言われたのも納得できます。そして私たちはこの体をただで神様から貰ったんですね。



  • ●世界の乱れの元となった人間の罪
  • さて、このように私たち人間は良いものとして造られました。ではなぜこの素晴らしいはずの人間が住んでいるこの世界が、これほど乱れ、混乱し悲しみと怒りで満ちているのでしょうか。その原因についても聖書ははっきりと記しています。その原因、それは私たち人間の内にある罪の性質なんです。
  •  私たちは素晴らしい肉体と能力を持っています、しかし罪のゆえにそれらを正しく使いきれていないんです。それはちょうど最高級の自動車のドライバーがお酒を飲んで酔っ払っているようなものです。クルマとしては最高の性能とボディを具えていても、それを運転しているドライバーが正常な判断が出来ずルールが守れず、めちゃくちゃな運転を平気で行うなら、そしてそんなクルマばかり走っているなら、その世界が混乱するのは当然のことです。相手を傷つけることもあるでしょう、自分が傷つくこともあるでしょう、ボディがボロボロになることもあるのです。皆さん、ご自分のまわりに今起こっている様々な問題の原因はもしかしたらこの人生という道を進むときの、自分の運転が間違っていたからだ、と考えることは出来ないでしょうか。




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§ 「神の結び合わせを、人は離してはならない」

10月17日放送のNHKこころの時代
 雨宮慧先生の番組を見て・・・

  • 上智大学・神学部の雨宮教授は日本の著名な聖書学者であり、カトリック東京教区司祭でおられます。大学では主に旧約聖書を教えておられますが、聖書の原語であるヘブライ語・ギリシャ語を駆使した説教には定評があります。
  • 日曜日の朝 「こころの時代」が教育テレビで放送されていますが、私も時々拝見いています。
  • この番組は主要な宗教を理解する上でもとても参考になります。
  • 今回は結婚と離婚にスポットを当てられて、お話されました。
  • 聖書を読み紐解くと、男女、夫婦の位置、立場、役割等が発見できます。創世記1章には神の天と地と人間の創造の業が凝縮して記されています。
  • 「神は自分の形に人を創造された。すなわち、神の形に創造し、男と女に創造された。神は彼らを祝福して言われた。「生めよ、殖えよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ。」
  • 神の人に対する理想の姿と願いが表されています。神の似姿・神の子女となるために、立派な人格を完成すること、すばらしい幸せな家庭を築くこと、宇宙森羅万象を愛で治めること。
  • 創世記第2章にはまた主なる神は言われた、「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう。」
  • 男女が夫婦となった場合、妻は夫の良き助け手である。夫には良き助け手がいるのであるから感謝だ。夫は妻を助け手ゆえに大事にして、愛さないといけない事を諭されます。
  • また、雨宮教授はイエス・キリストの語られた御言葉を引用されました。



  • マタイ福音書19章より
  • パリサイ人たちが近づいて来て,イエスを試みようとして言った、「何かの理由で、夫がその妻を出すのは(離縁することは)差し支えないのでしょうか。(許されているのですか)」。
  • イエスは答えて言われた、「あなた方はまだ読んだことがないのか。『創造者は初めから人を男と女とに造られ、そして言われた、それゆえに、人(男)は父と母を離れ、その妻と結ばれ、二人の者は一体となるべきである』。
  • 彼らはもはや、二人ではなく一体である。だから、神が合わされたものを、人は離してはならない」。
  • しかし、雨宮教授も夫婦の現実を見ると、聖職指導者としてある夫婦に結婚生活をそのまま続けた方がいいのか、それとも別れるようアドバイスしたほうがいいのか、なんとも判断するに悩ましい場合があることをお話されておられました。
  • みなさまも結婚してからの夫婦の葛藤も多いと思いますが、生い立ちも性格や考え方も習慣も違いが有るので、葛藤を感じるのは当たり前とも思います。
  • しかし、生活する中で人格は磨かれるものです。時には赦さざることが有った場合にも、赦すことも必要です。これも神の似姿に近づくための業かもしれません。
  • 夫婦がお互いに気を使うことやさまざま苦労や忍耐も多いかと思いますが、万人の苦労かと思います。
  • みなさんとお話し合いでもできる場があれば、話し合いたいものです。 (Kim)


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§ 生殖器は貴い

  • 生殖器は文字から意味を見ると「生命を増やす器官」だ。
  • 文鮮明先生は説教でよくこの男女の生殖器のお話されることがある。
  • 一般の聖職者や宗教指導者の説教からすると、とても卑猥な話ではないかと聞こえるかもしれないが、文先生は神様の人間の創造のことをお話される中で神様がどのようにして生殖器を作られたかのお話をされる。
  • 文先生は「神聖な生殖器を真の愛を中心として正しく用いなければならない。青少年は純潔を守り、既婚者は貞操を守らなければならない。」と厳しく説かれる。
  • 「性」はまさに愛と生命と血統の源泉であり、純潔は宇宙の基本的な愛の規範だ。
  • 「性」(SEX)の話は何か恥ずかしい話と思われがちだが、性がなければ生命も生まれてこない。
  • 人類始祖であるアダムとエバは天使長ルーシェルに騙されて、生殖器の使う時期を誤って堕落してしまった。
  • そして、生殖器の問題は越えるに越えられない人類の問題となって今まで残った。
  • 淫乱や不倫の問題は人類歴史を通して絶えない。
  • これを解決するために神様が地上に送られたのが、真の父母と呼ばれる文鮮明先生ご夫妻だ。
  • 人類始祖が堕落してしまったので後孫たちも堕落世界の中で問題を抱えて、もがきながら生きてきた。その解決の鍵は、神様の創造と人間の堕落に隠されています。神様の創造の業と人類始祖の堕落の経緯を知ることで見えてくることでしょう。
  • 統一教会の信仰を持ち、祝福結婚式に参加してとしても、個人の心が綺麗に整理清算されない限り、10年経っても20年経っても不倫な思いや情欲からは抜け出せない。個人の努力と責任にかかっていると思う。なかなか抜け出せないので、何年信仰を学んでもだめじゃないかと思い、信仰から離れてしまう人がたまにいるが残念です。日々の努力は必ず報われることを信じてほしい。
  • 政治・経済・社会・教育問題等山積みですが、真の家庭を取り戻すことが今日の日本の最大の課題かと私は思います。
  • 是非、統一教会の原理もみことばをお聞き下さい。
  • 男の貞操は家庭の幸せを続けるためにも本当に大事です!   (タロー)



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§ アメリカ建国の祖 プリグリムファーザーズの精神に学ぶ

  • ローマ法王ベネディクト16世が9月16日から英国を公式訪問した。16世紀に英国王ヘンリー8世が離婚問題でローマ・カトリックと決別し、英国国教会が設立されて以来、法王の英国公式訪問は初めて。「歴史的」(キャメロン首相)と位置づけられる訪問となった。
  • 一方で、米国やアイルランドなどで噴出したカトリック教会神父による児童性的虐待スキャンダルは各国に拡大し、カトリックへの厳しい批判が続く。
  • また、英国は世俗化が著しく、英国国教会の同性愛の容認や避妊容認などでカトリックと見解が対立している。
  • 英国国教会はアングリカン・チャーチともいわれていてカトリックから独立した教会だ。日本では聖公会の名で運営されている。荒川区には日暮里南公園の傍や南千住駅の近くにある。
  • 今回のローマ法王の訪問には賛否両論あったが、キリスト教会の歴史においては大きな出来事であったと思う。
  • カトリック教会と英国国教会がより品格を高めて、ともに世界平和に向かって行かれることを願いたい。


  • ●英国国教会の変遷と清教徒への迫害
  • 宗教改革の流れからカトリック教会から分かれたものをプロテスタントと総称するのですが、英国国教会はカトリック教会との決別は独自の理由だったことは有名です。英国王ヘンリー8世は熱心なカトリック信者でしたが、王妃の待女との婚姻を望み王妃との離婚をローマ法王に願い出た。しかし、認められなかった。そこでヘンリー8世は国王を英国教首長とする国王至上法を決めた。
  • その後英国国教会はプロテスタントの影響を受けるようになりました。
  • 16世紀半ばにメアリー1世が女王の座に付くと破門されていたカトリック教会に復帰した。一変してプロテスタントは国から弾圧されるようになった。この迫害されたプロテスタントのカルビン派の人たちは厳格な信仰生活をしていたために清教徒と呼ばれた。
  • ピューリタンは"ピュア"という言葉に 起源があり、質素な生活を送り聖書を読めば、純粋になれて、その人自身が神に近付くことが出来ると信じていました。ピューリタンは灰色と黒と白い服装だったので一目で見分けられました。
  • エリザベス1世の治世になると国王至上法を復活させてもとの英国国教会に戻し、39か条を作り、カトリックとプロテスタントを並存させるために、教義はプロテスタント礼拝儀式はカトリックというスタイルを決めた。
  • 清教徒はこれを不服として改革を求めた。
  • 英国国教会を純化(ピューリファイ)するよう求めたところから「ピューリタン」と呼ばれるようになった。彼らは、カトリック教会の権威主義と世俗化、聖職者の腐敗や堕落を批判し続けた。イギリス国教会の「宗教改革」は中途半端であり、どちらも堕落した宗教の姿としか映らなかった。そこで彼らは、真剣に国教会を糾弾し、「宗教改革」を未完成のまま終わらせては断じてならないと立ち上がった。
  • これに対し、イギリス王権は、様々な形で圧力・迫害を加え続けた。
  • 彼らの一部が迫害から逃れるために宗教寛容政策を取っていたオランダのアムステルダムへ向かった。そこでは宗教の自由を満喫できるはずであったが、元々田舎での農耕生活に馴染んでいたためにアムステルダムの都会生活になじめなかった。そこで、大学があり落ち着いたライデンの町へと向った。ライデンでの生活は 1609年から12年間に及ぶが、アメリカ植民地の話を耳にし新大陸への移住を決意する。こうして、3度目の移住先としてアメリカに向うことになった。一旦イギリスに戻り、ヴァージニア植民地に定住する許可を得て、いよいよ自由の新天地・アメリカをめざすことになった。


  • ●プリグリムファーザーズの歩み
  • 1620年9月16日、ウィリアム・ブラッドフォードとウィリアム・ブルースター率いる後に「巡礼の始祖」(ピルグリム・ファーザーズ)と呼ばれる清教徒(ピューリタン)41名を交えた102名(うち29名が女性)がメイフラワー号に乗って北アメリカのヴァージニア植民地(現在のニューヨーク市のあたり)のハドソン川河口あたりを目指して出発した。
  •  メイフラワーとは"五月の花"の意味で、全長27.5m、180tで、前身はスウィート=シップと呼ばれるぶどう酒運搬用の貨物船で、フランスのボルドーからイギリスのロンドンへ赤ワインの樽を運んでいた。3本マストの帆船(エンジンではなく、帆をかけ、風で進む船)で、船の前方と後方には、キャスルと呼ばれる平たい家が建てられていた。死と隣り合わせの、命がけの航海であったことは確かで、イギリスからアメリカまでの大西洋4400kmを66日間かけて横断することになる。船客102名の中に、妊娠中の女性が3名おり、そのうち2名が新天地で下船前にそれぞれ男子を出産した。また航海中に乗員1名、 船客1名が亡くなったことが記録されている。
  • メイフラワー号がイギリスを出発してから2ヶ月経過した頃の11月21日、リーダー達が部屋に集まり、船内生活の団結と規律、新天地での開拓指針を協議し、「メイフラワー誓約」(メイフラワーコンパクト)と云われる契約書を作成した。契約は、互いに協力して公正と平等を重んじ、法に基づいて理想社会を建設する精神を称揚し、使用人と主人、又は人民と君主ではなくて同じ目的を持った人々の集団と各個人の間にて結ばれ、神がその立会い者であるとする社会契約説に基づく連判状になっていた。41家族の主(あるじ)がサインをした。
  •  メイフラワー号は、11月19日にコッド岬、11.21日、現在のマサテューセッツ州プロヴィンスタウンの地に入港して修理・補給を行ったのち 12月26日、現在のマサチューセッツ州プリマスのマサチューセッツ湾(ケープコッド湾)沿岸に到達した。最初に上陸した新天地にニュー・プリモス(プリマス、New Plymouth)の名がつけられ、後にPlymouth Colonyとよばれるようになった。
  • 彼等がアメリカで一番最初に定住に成功したのが、 ボストンから車で1時間ほどの位置にあるプリマスであり、ここがアメリカ建国の発祥の地となった。 
  • 住む家もなかった清教徒たちは日曜日以外は毎日家を作るなどの作業に従事していたが、長い船旅の後の疲れ、新鮮な食料の不足に加え、ニューイングランド地方の冬の寒さに体を弱らせ、約半数の人たちが最初の冬を越せなかった。生き残ったのはわずか50名、23世帯だけとなってしまった。そのなかでも健康な人間は6、7名しかいなかった。
  • だが、ピューリタンは屈しなかった。しかし彼らは、献身的に支え合い励まし合った。移住民たちはこのような苦しい体験は神によるもので信仰の試練だと信じていた。厳しい環境にひるまず、イギリスで達成できなかった理想社会建設への情熱に燃えていた。彼らはひたすら働き、努力を重ね、苦境を乗り越えた。自由の天地アメリカに、我が理想の都を建設したいピューリタンは確固たる信念に生涯をかけ、命をも惜しまなかった。
  • アメリカ原住民の助けと指導により、やっと穀物を育て、大収穫をもたらすまでになりました彼等の移住の成功は今もなお祝われ、サンクスギビンブデーとしてアメリカ合衆国の国民の祝日です。(米国では11月第4木曜日、カナダでは10月第2月曜日)
  • その後、1630年、700名の入植者を乗せて大船団が出発した。これが一連の大船団のハシリで1630年代の終わりまでには、合計200隻を数える船が二万人のイギリス人男女をニューイングランドへと運んだ。それまでのイギリス史においては最大の外国移住となった。
  • 私もキリスト教の信仰を持ってから知りましたが、この方たちの移住や建国の精神には深く学ぶところがあります。
  • 自分が他者や組織の肥やしになるか、逆に肥やしをもらう身となるか?!深く自分の生き方を考えさせられた。
  • なんでも人間で決める人間中心の考え方や無神論主義、物質中心、経済中心の考え方に陥ると必ず精神を病んでくる。生き方が分からなくなり、悩み、狂ってくるようになる。個人の悩みも国の悩みもここにある。プリグリムファーザーズとインディアンプリグリムファーザーズとインディアン
  • 神を中心とした生き方といっても理解が難しく思えるかもしれませんが、神が何ゆえに宇宙万物と人間を創造されたかが分かれば、それに副って生活すれば良いと思う。
  • これを文鮮明先生はわかり易く教えてくださっています。是非学んでいただければ幸いです。
  • 文鮮明先生が世界講演で語られたお話でプリグリムファーザーズのお話がありますので抜粋して記載します。


  • ●アメリカに対する神の希望   1973年10月21日 ワシントン リスナー講堂にて
  • 中世になって教会は大きく破滅の道をたどっていったのです。キリスト教はその精神において分裂してきたのです。中世教会の教会制度はその力、権力、その繁栄のみに携わり、教会は政治的に経済的に莫大な力をほしいままにしました。教会制度はこの力を保ち、乱用し、神の目的を忘れてしまったのです。彼らは自分の地位に執拗にぶらさがり、いかなる反対者も容赦なく迫害したのです。教会の指導者たちはイエスの弟子の直系でありました。なのに、自分の罪から立ち上がることができないのでした。これらの人々のキリスト教精神は完全に死んだものとなってしまったのです。
  • しかし、神は前に進まなければならなかったのです。神は完全な答え以外には満足されないのです。教会は改革される必要があり、したがって宗教改革がこれに続いたのです。マルチン・ルターは新しいプロテスタント改革を始めました。この不満の花火は直ちにヨーロッパ中に広がり、教会の権力に対して反乱の嵐が巻き起こったのです。これらの反対者たちは、彼らの先祖の代からの古い教会を放棄したのです。全地域の義なる人々は、古い教義や習慣から解放されようと意を決しました。彼らは明らかに、教会ではなく神に礼拝したかったのです。彼らが望んでいるのは神のもとでの平等でした。最終的なる目標に世界を近づけるよう、彼らは神に加担したのでした。
  • あとになって再びイギリスでは、貴族教会の耐え難い腐敗に対する反乱がありました。それはイギリス教会を浄化するための叫びでした。清教徒運動も始まりました。それはまたたく間に、迫害にまで広がっていったのです。これらの新しい求道者は、そうした新しい運動に、あらゆる手段をもって抑圧してきた既成教会の教会指導者たちを、恐れさせました。真実に礼拝の自由を求める者は、逃げ出してしまうか投獄されるかのいずれかでありました。彼らの精神は確固たるものであっても反抗する力に欠けていました。しかし彼らは屈することを知らなかったのです。ある者はオランダに逃げ、彼らが自由に礼拝することのできる新世界、新天地、新しい土地を求めたのです。
  • 新しい世界を夢見る者にとって、アメリカは魅力的なものであったに違いありません。アメリカが未踏の地だとしても、自分たちの切望する自由な礼拝を約束していました。清教徒も彼ら自身の社会共同体をつくるという強い願いを感じていたのです。アメリカはそれには理想の土地であったのです。彼らは勇気をもってそこに出かける決意をしたのです。彼らは大西洋に出て、おぼつかない旅に出たのであります。自分の命よりも強い信仰に力を得ながら彼らは命懸けの旅に出たのです。
  • 考えてみましょう。彼らは家族も、親戚も、環境も国も捨て見知らぬ土地に向かったのです。彼らのたった一つの望みは神でした。彼らが取るどの手段も神によっていました。旅は長く、嵐にもたくさん出会いました。彼らは絶え間なく神に祈ったのです。彼らは何にも屈せず、ただ神に屈服したのです。船で病気になり死にそうになったからといって、彼らには飲む薬もなければ、診てもらう医者もいないのです。神に屈服する以外なかったのであります。これらの清教徒団の男も女も神と一つでありました。それは生きる手だてだったのです。
  • 神に全面的に頼るという立場に自分を置いてみましょう。何と素晴らしい信仰ではありませんか。この英国清教徒団の信仰は、神の心情に触れたのだろうと私は確信します。神はその心情が動かされた時、約束事をされるのであります。そしてその約束がなされると神はそれを成就されるのです。神は彼らの願っていた最終的なもの――礼拝の自由――をこれらの信仰篤い者たちに授けようと決意されました。そしてそれ以上に恵みを与えようとされました。
  • 皆さんも御存じのことと思いますが、メイフラワー号はニューイングランドにあるプリマスロックという所に冬のさなかに到着したのです。ニューイングランドの十一月はかなり寒いものでした。新しく到着した者は飢えに瀕したのです。彼らが死ぬほどおなかがすいても、メイフラワー号に積んである穀物の蔵に手をつけなかったという事実は、本当に私を感動させました。彼らは春の穀物の植え付けのためにとっておいたのです。これは実に犠牲の崇高なる例であります。数日の生命のために自暴自棄になるより、あすに希望をもちながら死のうと思ったのです。
  • 清教徒団は目的と希望とにあふれてこの地にやって来ました。彼らは自分たちの命を全うするより、彼らの目的のほうが重要であることを知っておりました。 神への信仰を除いて何が彼らにこの勇気、献身、犠牲の精神を与えたでしょう。彼らがプリマスに着いた時、航海に耐えた四十一人の男は一緒になって政府に対する彼らの考えをまとめました。「メイフラワー盟約」は神のみ名によってアーメンと結ばれ署名されました。これは本当に素晴らしい話です。この小さなグループは神に希望をおいてヨーロッパをあとにしたのです。彼らは神のもとにあって病にかかり死んでいきました。そして神のもとで生きのびたのです。彼らは 最初の政府をつくりその公式文書に“神のみ名によって”と署名しました
  • メイフラワー号メイフラワー号アメリカの清教徒の話は神の歴史の一つです。それは歴史上の義人アブラハム、イサク、モーセ等のパターンのうち、これらの清教徒たちは現代歴史のアブラハムの家庭に当たります。ですから「メイフラワー盟約」がサインされたのちも多くの苦労に立ち向かっていかなければならなかったのです。
  • アメリカでの最初の冬、大胆なメイフラワーの生存者は最初の人数の半分になっていました。来る日も来る日も、その冬は愛する者との心を引き裂くような別れの日々でした。これらの勇敢な開拓者が次々に死んでいきました。しかし、朝から晩まで、晩から夜明けまで彼らの生活は神のみ意を中心としていました。神が彼らの唯一の慰めであり、彼らの唯一の希望であり、彼らの唯一の安全でありました。神が彼らにとって第一の仲間であったのです。ここにまれなる純粋なる 神の人の一団の例があったのです。彼らはあくなき信仰を証明し、神は代わりに力と勇気を与えられました。彼らは決して神への信頼を失わず未来の展望を失わなかったのです。アメリカに来ることの目的は神を中心とした国をつくり、神が住むことのできる、そして本当に親交を分かち合い神と共に親交を喜ぶことのできる天地をつくり上げることにあったのでした。これはすべて神の摂理の中にあることでした。なぜなら神は最終的な永遠の世界救済のため、神の闘士として仕える一国を必要とされているからです。
  • それから、もう一つの奇跡が清教徒たちにもたらされたのです。辛うじて彼らが生き残り彼らの人口が半分になった時、インディアンの一撃は簡単に彼らを全滅させてしまうことができたのでした。しかし、ここでも神は彼らの盾となりました。メイフラワー号の生き残りの人々が出会った最初のインディアンは敵ではありませんでした。インディアンは、移住者を歓迎しました。もしその時、清教徒たちが殺されたとしたら神のためのアメリカは多分存在しなかったでしょう。神はここアメリカでも神の人々を救うため介在されたのです。これは私の信念です。神は、彼らが定住することを望まれたのです。そして清教徒にその機会を与えられたのです。
  • アメリカの存在は神の摂理と一致しています。神は将来の仕事として地上に一つの強力なキリスト教徒の国をつくらなくてはならないのです。結局アメリカは、まず神のものになり、それからインディアンのものになるのです。これが、清教徒の立場を正当化することのできる唯一の解釈なのです。
  • アメリカ大陸はそれまで特別な目的で隠されていました。そして適当な時まで発見されなかったのです。神の選んだ人々は決められた時にやって来ました。彼らは新しい生活方式を形造るためにやって来たのです。彼らの第一の相談相手は神でした。家では、子供の面倒をみながら農作業をしながら、あるいは、料理や建築作業をしながら彼らは神と仕事を分かち合っていました。神は彼らの唯一の安全でした。農夫は子供と畑仕事をする時、“神の名において耕そう”と言った のです。彼らの毎日の生活は神のみ名においてなされたのでした。
  • 最初の春が過ぎて、彼らは整地し種を蒔き耕し、実りを刈り入れました。そしてすべての収穫を神の前に捧げました。感謝祭という美しい伝統はこうして始まったのです。次の厳しい冬に引き続いて彼らが最初に建てたのは教会でした。彼らが最初につくった道は教会への道でした。夜に、明け方に、朝に、昼に、彼らは神に祈ったのです。彼らはこう祈ったに違いありません。「神よ。昔いた土地よりもっとあなたの住み良い教会をつくりたいと思います。私たちはあなたが住まわれ、主人となる場所をつくりたいのです」。
  • そして彼らは、このキリスト教国家が地球上のどの国より世界のために良いことをなすだろうという未来の展望をもっていたのです。私は教会の次に学校を建てただろうということを確信しています。彼らは子供たちにかつての世界にあったどの学校より良い学校を望んでいました。彼らの住む家は最後に彼らの家を建ててからそれを神に捧げたのです。これが、私の知るアメリカにやって来た清教徒団の歴史です。初期のアメリカが美しいアメリカとして私の目に浮かびます。 というのは神はあらゆる所におられたからです。学校に教会に、台所に、通りに、どんな集会場にも、マーケットにも神はおられたのです。





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